連・断・続の部屋  

捨てる過去など何もなく、日々の社会との繫がり、自己の活性化、整理のためにつぶやく。

お終い。しまう。

2018-05-26 16:02:31 | 日記・エッセイ・コラム

5月23日、仙台血液疾患センターとして建てられた建物は無くなりました。

起工、開院された恩師宇塚善郎先生の、祥月命日5回忌の朝にあった非常階段も夕方には取り払われました。

昨年末の12月14日昼に、患者の移送が終了後は、おしまいとしての人が出入りするだけでした。

建物を利用したいという人がいるらしいというのは噂だけで終わり、

市街化調整区域内で建設が許された医療機関としての引き取りては無かったのでした。

仙台血液疾患センターは、1991年5月1日開院、2013年2月28日閉院しましたが、医療法人としての廃業は、いまだ、宮城県の医務課から許可されていません。廃業に向けての種々の手続きは、弁護士に一任しているので、法人消滅を止められているのは、県からの通達だということを知るのみです。

廃院後5年の経過中、法人廃止手続きについて弁護士に問い合わせていたのですが、虚しくなり、問い合わせをしなくなったので、”未だしているし存続している”のを知るのは、税務署からの確定申告用紙が送付してくるからです。

終わることの大変さを、実感しています。

映画の予告で、館ひろし主役の”終わった人”で、退職は生前葬だなという大きな字は、

入院患者引き受け中止後、患者の急変待機で、年中、四六時中拘束から解放されたことによる、よるべなさ、いかに自主的に時間をやる過ごすかという現実に直面し、戸惑ったのを思い出してしまいました。

書き残した、医療データーを整理しては、投稿し、

幼き頃から上達を夢見ていた、笛、お茶の稽古を始め

専門分野での研究とか、医療業務に従事の道は締め出されている現状はあるものの、

臨床医としては、外来のみで対応可能な血液疾患患者の診療も、高齢患者対応分野の医療業務も、自らリタイアしなければ従事していられる、幸運な環境にあります。

始めの仕事は、次はとかとか執着した行動をとることが多かったような気がしますが、

古希まじかの今、毎日の過ごし方の気持ちが我ながら不思議です。

 

SBDC 解体顛末

6月5日 かきねなく つちあらわれて がれきのみ うえこみきぎの ねかぶもともに

6月13日 すいでんと ついじのさきは かわむこう くまののやまが ひろがるのみ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アメフト悪質タックル日大対応

2018-05-24 09:25:52 | 日記・エッセイ・コラム

スポーツは、勝負をかける戦いの場ではあるが、

選手の安全性を担保してこそ、日常の中での戦いを維持でき、次の戦いの予定を設定できる。

今回の件での、監督、コーチの態度は、勝つためだけの指導のみにたけた、日大という高等教育機関に序属しているが、教育者としての片りんもうかがえない態度に終始している。

指導者、教育者は、教え子のでる行為が、趣旨と反する行為であった場合、伝達能力の未熟さ指導者が自ら深く反省して、次にはどうしたら伝えられるかという態度がにじみでるが、内田監督は指示していません、井上コーチは、言葉の受け止め方が、宮川選手は異なり、今回の悪質タックルになったのだという言い方で、選手のせいにしている。そのような受け止め方をせざるを得ない環境にあったことへの反省が全くない。というか、自己弁護、言い逃れに終始し、潔くない。

悪質タックル発生後の、日大対応は、日大の教育機関のレベルとの判断根拠となるのは当然で、信頼回復は容易ではないでしょう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

年齢順に見送る幸せ

2018-05-18 09:31:55 | 日記・エッセイ・コラム

2017年の平均寿命は、過去最高で、男性は80.75歳、女性は86.99歳と厚労省の報告にある。

見送る側の悲しみ、寂しさは、逝去年齢に関わらないが、

止む無しと死を受け止めなければならない年齢での見送りはある。

残されたものより若く、次代を担う年齢での逝去に遭遇したときは、悲嘆にくれる。

急性白血病の治療を専門として臨床に従事してきて、治癒かなわずっ先立って行った患者。

今でもこの世に心残して逝っただろうと、日々の回診の中での患者の姿を思い出す。

塗炭の苦しみの末根治した患者には、白血病の再発はなくても、

年齢不相応な、一般疾患の罹患は、気にかかる。化学療法の影響ではないのか?

心筋症は、1960年代から因果関係を問われ、研究を進め、あるレベルで把握できている。

血管病変については、短期的な研究では、少ないという報告がったと記憶している。

治療に伴う、食思不振期間を考慮してはいなかったかもしれない。

悪性腫瘍から治癒した人は増加してきているので、血管病変との因果関係もデーターとして把握し、予防策につながるデータを期待したい。

 

人事を尽くした後、病脳期間短く、平均寿命で世を去った両親、恩師宇塚善郎先生にも最期の日まで寄り添うこと可能であったという年齢順の逝去を見守れた幸せで、次の自分の死を、心穏やかに受け入れられている気がする。

年齢相応、年齢順に見送るのは、心の平安にはとても大事。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

セクハラ、パワハラ、アカハラ

2018-05-13 10:20:09 | 日記・エッセイ・コラム

今年古希を迎える、旧帝国大学の医学部に入学し、国立大学病院に長らく勤務してきた、女性です。

大学進学率は、15%ほど、女子は5%ほどでした。

意識すれば、セクハラ、アカハラ、セクハラ満載。近寄らない、避ける努力が欠かせませんでしたが、そうもいかない場面も多かったです。

入学早々から、

【女の子なのにどうして大学に入ったの?】【女の子なのに医学部?】

    進学競争のなかで、合格可能として高校から推奨され選択しただけなので、世間の”女の子なのに!”に、驚き、

    ≪おんなのこだから≫なんて考えもしなかったね、と女子学生同士話し合いました。嫌な感じでした。

 医師として働き始めてからも、【女医さん!】不快な響きで言われること多く、

 入局後は、秘書さんなどわずかに女性はいましたが、女性医師の入局は久しぶりで、肩身の狭い、居ずらい環境。

専門として専攻したのが、多忙、壮絶な敬遠される分野で、人手不足甚だしく、指導者一人に下働きの私だけという環境で、恩師は、姉妹、従姉妹も多いためと、人手不足のなかよくぞ加わってくれたという人力として接してくれたので居心地はわkるくありませんでした(忙しすぎて!)。

セクハラ、パワハラ、アカハラはそれなりに多々経験。

男性感覚がはびこってきた分野は、女性が増えることにより、不快を高らかに、力強く発現し、攻め続けないと変えられない。

男性にとっては、不快でもなく、攻められることもなければ、特権として享受し続けるのは確実と思う。

男女の違いを、優劣認識から脱却させるために、

次世代を生み出す女性が不利にならない社会環境、システム

深層に潜む優越意識、肉体的強者意識を変えるのは時間がかかるだろうが、

絶え間なく、着実な変化を求める意識あってこそ、理不尽な意識を根絶やしにできるだろう。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

介護施設に笛を聴いていただく!

2018-05-01 09:12:04 | 日記・エッセイ・コラム

大型連休初日は、美里町にある介護施設【まりちゃん家】に、仙台NHK文化センター教室“定禅寺笛の会”のメンバーとお師匠様と連れ立って訪問してきました。

休日だったので、居宅している20名の方が、大広間で待っていてくれました。

番傘を左右に配置し、その間をステージとし、人数分の譜面台を設置し、5分ほどで終了。

こんな近くで、音楽聴くの初めてなど楽しみにしてくれている気配もあり、40分ほどの演奏時間だけど飽きないで、いてくれるかしらと、お師匠様の事前のコメントは、”下手の時の反応はすぐでるから!”のフレーズがちらっと頭に浮かびました。

年齢を想定し、知っている曲で、一生に歌える曲を主にという作戦勝ちでした。

しかも、施設側で歌詞を準備してくださっていて、全員ではありませんでしたが、曲に合わせて、手拍子してくれたり、歌ってくれました。

さすが、地元民だねと、上手!と感心したのが、”さんさ時雨”。

お師匠様は、祇園小唄とさんさ時雨では、三味線を弾いたので、興味シンシンの様子。

お家元が、季節の曲と言って、"こいのぼり、せいくらべ”を演奏したときの反応は、

歌詞の事前配布がないだけではなく、うまい、美しい笛と言って聞き入っていました。

施設からのお礼としてと、最高齢の96歳の方が、ミュジーックスタートとの掛け声で、カラオケボックスのスイッチを入れて”娘よ”を歌ってくれたのでした。

現在、臨床医としての対象は、外来通院可能なレベルの血液疾患の診療(かっての年中無休、患者の状態レベルに合わせて、病院滞在継続していた急性白血病とは様変わり、

高度障害者、リハビリ必要な疾病罹患者です。

病院での診療なので、高齢者の集団居住空間を訪問するのは初めてでした。

開設は、2016年秋。

施設入居後亡くなられた方の、遺影は、大広間入り口前の祭壇に飾られていました。

入居者の状態は様々で、自力で動き回れる人、車いすに乗っているは人、車いすの乗り方も様々でした。

この世との別れが近い人を感じながら、いずれはと思いながら、祭壇の前を通り、

毎日の、食事を大広間で食べていられるのだなと、

改めて、仏壇の遺影に見守られながらの、食卓の風景と重なりました。

デイサービスに通っていた高齢者が、”ピンピンコロリ”と繰り返しながら体操をするのに驚きましたが、避けて通れない状況を受け入れるてもらうという、考えが広く静かに広がりを見せていることの一環かなと思いました。

演奏したのは、

越天楽今様→朧月夜春のメドレー(早春賦、どじょっこふなっこ、春が来た、春の小川)最上川舟唄→さんさ時雨→祇園小唄→つむぎ歌→瀬戸の花嫁→浜辺の歌→山さくらの歌→あざみの歌→ゆうやけこやけ→花→ふるさと→荒城の月  鯉のぼり、せいくらべ

下線は、歌詞を配り、今回の聴衆、演奏しない出演者で合奏した曲目。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする