連・断・続の部屋  

捨てる過去など何もなく、日々の社会との繫がり、自己の活性化、整理のためにつぶやく。

障害者スポーツ

2014-03-16 13:52:10 | スポーツ

ソチパラリンピックも最終日。

障害者の身体能力の回復、向上の限りない可能性を目の当たりに、

精神力の強さ、勝負へのこだわり、支援者あってこそという感謝など

インタビューに答える姿には、障害の自分と向き合って鍛えてきた力強さがありました。

好きと、得意とかではなく、出会え、出来る喜び、肉体を躍動させる喜び、

そして記録亢進に突き進む貪欲さは、やるきと力を与えてくれる存在でした。

運動器の障害は、私にとっては現実で、学生時代から着実に進行し、

2002年、健康を心配し、無理無理、サポートしながら継続させてくれた太極拳に出会わなかったら、

今頃は、車いす生活、ひょっとすると存在していなかったかもと想像できる医学的検査結果の数値でした。今でも異常値ですが,軽快。

外見は,五体満足で、自己奮起のために空元気で過ごしているのですが、

内部障害による、結合組織の全身の炎症後による癒着で、肉体的運動制限が全身至る所です。

軸のある伸びやかな上下肢を目指して,10年以上ですが、

癒着が解消するのに疼痛が伴い、

炎症に持続的な痛みではなく、

ストレッチをしているときの一時的な痛みなのですが、

太極拳を始めてから10年以上経ってもずっとなので

痛い割には、改善がわずで

最近は、戻らなくてもいいかな!と弱気になりがちなときのパラリンピックでした。

固有背筋は、左右が同じ程度に、

意識しなくても左右の足は同時に着地出来る

腰を曲げた時に、膝が同じように前を向く

上肢は、伸ばして左右ともに指の方向が同じ方向を向く

などなど、意識しないと治らないレベルを目指す

自分だけわかる改善で、ささやかながら喜びを感じるという幸せもある。

太極拳の上達を目指す気の取り直しを

パラリンピックからもらいました。

3月17日補遺

閉会式で Impossible → I'm possible

できるかもしれない。でも、

免疫異常に伴う膠原組織の炎症という内部傷害から派生した運動障害は、

癒着は自然回復に任せているのではないので、

再発、悪化という代償を払わなければならないかもしれない恐怖と闘いながら

五体の自然な動きは、取り戻したい。上達したい太極拳。

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東日本大震災から3年が経った。

2014-03-11 11:34:13 | 東日本大震災

表面は、変哲のない日常の会話の世界に戻ってきています。

震災直後の,”内服薬が!薬をとる暇もなく逃げたので” ”食べ物あるの?” ”家族は無事?”などの会話は、

”今年は収穫できたんだ!”

”見つかった?”    ”まだなんだ。ふんぎりがつかないけど、葬式はそろそろださなければいけないかな。”

”仮設から出られたんだけど!二重返済になるから大変” などと変化しながら

時間の経過につれ、復興が勧められる地域と、

放射能の影響があり停滞せざるを得ない地域との差は大きくなってきています。

放射線の影響下にある福島県で,農業、漁業に従事していた患者は、話をしていくと

やりきれなさがひしひしと伝わってきます。耐えるしかないのです。身体表現として,消化管潰瘍が発症などが起きています。

漁業の復活もまだまだ。収穫量が安定していないので、販路の確保がままならないという現実があります。地元で,個人的に消費するだけでは、産業としての復活には限界があるのを実感しています。

一切合切流され、トラック運転手として生計を立て、再起をうかがっているようですがもう少し時間がかかるのだなと、大病から生き延び、天災からも生き延びた患者にひっそりとエールをおくっています。

震災の影響もあり、仙台血液疾患センターは閉院となり、

当時大震災をともに乗り越えた人は散り散りになり、今は十指に満たない人と

名前の変わった、富田病院で仕事をしています。

(つい最近、1年に一回だけ健診をかねて受診する患者が,ネットにHPがなく、電話も不通で、驚いたんだ!先生元気でいてくれよ。)

震災直後、命の糧になっている病院の運命を案じて連絡をくれた患者も多かった。

いつもの日常であったら、

発病せず、死なないで済んだのでは?

手遅れになる前に、病院を受診していたならば、

家の事情がいつも通りだったら、死ななかったかもしれない!

震災がなかったら、まだ、まだ診療を続けられる状態だったろうな!

時間がたっても、忘れない、忘れられない、それぞれの患者。

記憶を生かして、ともに支えながら、

教訓を、天災の多い日本の未来に生かせるよう生き続けなければ。

 

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3月11日

2014-03-09 12:56:48 | 東日本大震災

3月11日という、特別な響きのある日が近づいてきて、

いろいろな当時の検証報道が多くなっている。

そのなかで、

仮埋葬の掘り起こし、火葬へ という作業 

震災復興の現場から

http://www.doyukai.or.jp/publish/2013/pdf/2013_07_01.pdf 

従事した人のその後の精神の摩耗からの回復は?

(予期される臨終を職業として見届けても、感情の変動は残るのを経験しているので、大丈夫かしらと思ってしまう。)

指令で動く現場に,指令が届かない(出せる状況ではなかったから)ために、

待機していた救難ヘリ。

指令が届かない状況に対して、もう一日早く、もう2日早く、いや当日に異常だと察知して、

ピンポイントでなく、とりあえず被災現場に飛んでいたならば、

海水につかったビルの屋上で低温死亡せずに、生き延びた人は確実にいた。

過去を分析し、非難するためではなく、次の予防のために。

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桃は咲いていないが

2014-03-04 12:54:28 | 日記・エッセイ・コラム

邪気を払う桃にちなんだ節句。新暦は昨日。仙台では,季節感から旧暦が馴染みやすい。

大雪は、名残も無いほどに溶け、見つけました。春の息吹。

20140304_105820_2 チューリップ

20140304_105746_2 クロッカス

20140304_105903_2陽当りの良い場所でもさすがに残っています。 2月8日の78年ぶりの雪さらに15日の雪もの名残

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市県民税・特別徴収

2014-03-01 11:40:46 | 日記・エッセイ・コラム

突然、緑色の封書。表には ”差置”と大きく印刷されている。

差し出しは、仙台市ではない市役所から。

額は30万を超えている。

仙台血液疾患センターは,昨年3月には廃院となり、収入はなく、

目下精算手続きが延々と続いている法人宛の封書であった。

心ならずもの閉院で,鬱々と過ごしている最中の不意打ち。

驚愕のなか、金を管理している弁護士、税理士に連絡。

説明は、院長個人宛のものである。

院長は,無報酬で診療を継続していたので、給与天引きがされず放置していた。

(平成24年、25年は関与していたのだから、教えてくれたってよかったのではないの?)

収入が無いとか、高齢だとか、心楽しくなく、気が塞ぐことが増えてからの、

追い打ちにも等しい、税金支払いの督促。

市県民税は、翌年で、無報酬になってからの督促は知っていましたが、2年を経てからの延滞金つきの督促。

歳を重ねることのつらさ、寂しさを噛みしめました。

今までの積み重ねの臨床データーを投稿受理されるまでは、共に支え合いながら、診療を継続という心の支えを創って日々を過ごしていますが、金銭の追い打ちは辛く,酷い。、

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