連・断・続の部屋  

捨てる過去など何もなく、日々の社会との繫がり、自己の活性化、整理のためにつぶやく。

PTSDからの解放

2014-12-31 10:48:43 | 日記
発病、病状悪化時の40年前
卒業間際の、怒りの形相と、足手まといの一言の残像は、ふとしたときに現れて、悲しみと恐怖を与え続けてきた。
その事実を、少し過去形で表現できるようになったのは、現世での持ち時間が残り少なくなってきた事を実感しはじめ、
PTSDを引きずったままで、冥土に旅だち、新紀元を迎えたくない と思い始めていた。、
定年を迎える時期となり、同級会の機会に、一歩を踏み出すために、
40年前の事件が起きた日に、呼び寄せられ、息を吹き返した私を確認してくれた友人に、古い記憶にある”私”を訊ねられたこと。
彼女は、”ただ転がっていただけ!”あとは、なにもいわれなかったし、ききもしなかった。ということだけだったが、
訊けたという、その一言が大きかった。

彼の”足でまとい!”の一言は、病気となった女性の立ち位置を確認し、その後弱音を吐かず生きてきたということとつながる。
恩師、宇塚善郎先生は、”後家みたいに、1人でがんばりすぎるな!”という、助言につながる、男性社会で互して生き抜くためのカリカリした一面のみを見せていたのだろうなと思う。

治癒せず避けようもない慢性疾患に罹患した肉体と、精神的に傷ついた経験を反映させながら医師として働き続けてきたし、
働き続けられたことに感謝し、まだ仕事を与えられ続けられていることに感謝している。Let it go!

楽しんだり、上達したいことは沢山あるけれど、来年もまず仕事第一で、過ごせる一年となりますように。
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クリスマスかざり

2014-12-07 10:22:29 | 日記
1991年、仙台血液疾患センター開院時から、クリスマスツリーは、”もみの木”(トドイツトウヒであるそうですが)に飾り付けています。数年使い続けて、成長し大きくなり室内には無理になると、地植えにして、また小ぶりを調達してを繰り返し、暴風林としての役目を果たしていましたが、2013年に閉院し、新たな経営母体で発足した富田病院では無用として伐採されてしまいましたが、1本は残り、かってのよすがとして心をうちます。
手作りをした患者を思い出したりしながら、かざりを取り出し、少し寂しいかなと思い立ち、いただきの星を買ったお店で、ギフトボックスをみて、手作り折り紙ボックスに患者への思いを込めて飾り付けることにしました。
クリスマスパレードを廊下になど、リハビリに励む高度障害者に少しでも季節を届けたいと、富田病院となり、立場は変わりましたが、院内をキリスト誕生の喜びのお裾分けをばらまいています。
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