みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

『土に叫ぶ』(松田甚次郞、昭和13年)

2021-12-12 14:00:00 | 一から出直す
《三輪の白い片栗(種山高原、令和3年4月27日撮影)》
 白い片栗はまるで、賢治、露、そして岩田純蔵先生の三人に見えた。
 そして、「曲学阿世の徒にだけはなるな」と檄を飛ばされた気がした。

 では今回は 『土に叫ぶ』(松田甚次郞著、羽田書店、昭和13年)、当時の驚異的な大ベストセラーに関してある。


〈『土に叫ぶ』(松田甚次郎著、羽田書店、昭和13年5月)〉

 ちなみに、この本については安藤玉治が、
 『土に叫ぶ』の公刊は、小作農問題をはじめとする農村社会の抱える実情を広く明らかにし、最上共働村塾の独特の青年教育の方法を全国に知らしめることになった。
 それだけにととまらず…投稿者略…宮沢賢治を広く天下に紹介する役目を果たした。
 今日でこそ「二十一世紀の思想家」「稀有の天才詩人、童話作家」といわれる宮沢賢治だが、昭和十三年頃、ごく限られた詩人や文壇人には高い評価を受けていたが、一般には殆ど知られていなかった。…投稿者略…
 その宮沢賢治の名前を狭い文壇から国民大衆の間に広く紹介し、定着させたのが松田甚次郎だといっても過言ではないのである。
              〈『「賢治精神」の実践【松田甚次郎の共働村塾】』(安藤玉治著、農文協)149p~〉
と述べているし、そのとおりだと私も思っている。
 さて、その驚異的なベストセラーの目次と巻頭はどうなっていたかというと、
【目次(抜粋)】

【巻頭(抜粋)】


      一 恩師宮澤賢治先生
 先生の訓へ 昭和二年三月盛岡高農を卒業して歸鄕する喜びにひたつてゐる頃、每日の新聞は、旱魃に苦悶する赤石村のことを書き立てゝゐた。或る日私は友人と二人で、この村の子供達をなぐさめようと、南部せんべいを一杯買ひ込んで、この村を見舞つた。道々會ふ子供に與へていつた。その日の午後、御禮と御暇乞ひに恩師宮澤賢治先生をお宅に訪問した。
    …(投稿者略)…
 先生は嚴かに教訓して下さつた。この訓へこそ、私には終世の信條として、一日も忘れる事の出來ぬ言葉である。先生は「君達はどんな心構へで歸鄕し、百姓をやるのか」とたづねられた。私は「學校で學んだ學術を、充分生かして合理的な農業をやり、一般農家の範になり度い」と答へたら、先生は足下に「そんなことでは私の同志ではない。これからの世の中は、君達を學校卒業だからとか、地主の息子だからとかで、優待してはくれなくなるし、又優待される者は大馬鹿だ。煎じ詰めて君達に贈る言葉はこの二つだ――
   小作人たれ
   農村劇をやれ」
と、力強く言はれたのである。…投稿者略…默つて十年間、誰が何と言はうと、實行し續けてくれ。そして十年後に、宮澤が言つた事が眞理かどうかを批判してくれ。今はこの宮澤を信じて、實行してくれ」と、懇々と説諭して下さつた。私共は先覺の師、宮澤先生をたゞたゞ信じ切つた。
             <『土に叫ぶ』(松田甚次郎著、羽田書店)一頁~>
となっている。すると、この『土に叫ぶ』は多くの人に読まれたわけだし、その巻頭に何が述べてあったかというと、
    一 恩師宮澤賢治先生
という項があったので、当時は宮澤賢治の名前もその作品も全国的には殆ど知られていなかったから、甚次郎をして小作人にせしめ、農村劇を上演させ続けさせたこの「恩師宮澤賢治先生」とは一体何者ぞと、多くの読者たちが興味・関心を持ったということは当然のことであろう。

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