《『日蓮主義とはなんだったのか』(大谷栄一著、講談社)の表紙》
さて、大谷氏はこんなことを新たに提起していた。
大正九年(一九二〇)五月、盛岡高等農林研究生を終了した賢治は、実家に戻る。…投稿者略…
この時期、父親の政次郎と賢治は激しく対立し、法論を重ねた。当時、すでに智学の思想に影響を受け、日蓮主義的な法華信仰の立場に立つ賢治は、真宗信仰の立場に立つ父親に改宗を迫ったのである。それは、父親への折伏行だった。
なお、これまでの宮沢賢治研究では、父と子の宗教対立は伝統的な「真宗対法華宗」の対立と考えられてきた。
しかし、それは違うと私は考える、
…投稿者略…政次郎の真宗信仰は当時の最先端の近代真宗(精神主義)信仰だった。賢治の法華信仰は、やはり当時の最先端の近代法華・日蓮主義に立脚していた。両者の対立は、近代的な「精神主義対日蓮主義」という枠組みで理解されるべきであろう。
〈『日蓮主義とはなんだったのか』(大谷栄一著、講談社)306p〉この時期、父親の政次郎と賢治は激しく対立し、法論を重ねた。当時、すでに智学の思想に影響を受け、日蓮主義的な法華信仰の立場に立つ賢治は、真宗信仰の立場に立つ父親に改宗を迫ったのである。それは、父親への折伏行だった。
なお、これまでの宮沢賢治研究では、父と子の宗教対立は伝統的な「真宗対法華宗」の対立と考えられてきた。
しかし、それは違うと私は考える、
…投稿者略…政次郎の真宗信仰は当時の最先端の近代真宗(精神主義)信仰だった。賢治の法華信仰は、やはり当時の最先端の近代法華・日蓮主義に立脚していた。両者の対立は、近代的な「精神主義対日蓮主義」という枠組みで理解されるべきであろう。
とはいえ、私には殆どちんぷんかんぷんだが、わかったことは、
この父と子の対立は伝統的な「真宗対法華宗」の枠組みではなくて、近代的な「精神主義対日蓮主義」のそれで論じられるべきである。
と大谷氏は指摘していたということである。となると、「精神主義」がどういうものかを私はちゃんと理解せねばならないのだろうが、それは今後の課題にしておこう。なお、どちらの枠組みで考えるにしても、賢治と政次郎の対立は深刻なものであったいうことは確認しておきたい。そして父親の立場に立って考えてみれば、普通は息子賢治の言動はわがままであったとみなされるはずだから、実際にはそれを許していた父政次郎は偉かったと言えそうだ。
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