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入沢康夫氏からの「賢治昭和二年上京説」支持

2024-09-17 12:00:00 | 菲才でも賢治研究は出来る
《羅須地人協会跡地からの眺め》(平成25年2月1日、下根子桜)

入沢康夫氏からの「賢治昭和二年上京説」支持
 さて以前に、〝賢治昭和2年に上京し約三カ月滞京〟という投稿でも述べたように、「賢治年譜」の大正15年12月2日の現定説である、
 セロを持ち上京するため花巻駅へゆく。みぞれの降る寒い日で、教え子の高橋(のち澤里と改姓)武治がひとり見送る。「今度はおれもしんけんだ、とにかくおれはやる。君もヴァイオリンを勉強していてくれ」といい、「風邪をひくといけないからもう帰ってくれ、おれはもう一人でいいのだ」と言ったが高橋は離れ難く冷たい腰かけによりそっていた。…………❎
には反例があるからもはや棄却されねばならぬことを明らかにした(このようなことをことを主張したのは多分私が初めてであり、不思議なことにどういうわけか誰一人としてそんなことを論じてもいないし、主張もしていない)。逆にそれに伴って、
 昭和2年11月頃、宮澤賢治はセロを持ち上京するため花巻駅へゆく。みぞれの降る寒い日で、教え子の澤里武治がひとり見送る。「澤里君、セロを持って上京して来る、今度はおれもしんけんだ、少なくとも三カ月は滞在する…投稿者略…」と言ったが澤里は離れ難く冷たい腰かけによりそっていた。そして先生は三カ月間のそういうはげしい、はげしい勉強で、とうとう病気になられ帰郷なさいました……………◎
ということも検証出来た(今後これに対する反例が突きつけられない限り、やがて新たな定説になってゆくはずだ)ことになる。もちろん、この「◎」は実質的には、あの「仮説♣」と同じものである。
 さらに、「賢治年譜」の大正15年12月2日についてせいぜい言えることは、柳原の証言「一般には澤里一人ということになっているが、あのときは俺も澤里と一緒に賢治を見送ったのです。何にも書かれていていないことだけれども」に基づいて、
一二月二日(木) 上京する賢治を柳原や澤里が見送った。
ということだけであり、この時に賢治がチェロを持って上京したという保証はない。

 実は、この一連の私の主張、いわば賢治昭和二年上京説については、かつての投稿〝賢治の10回目の上京の可能性〟というシリーズでも展開した。すると、このシリーズの最終回で、入沢康夫氏から
祝 完結 (入沢康夫)2012-02-07 09:08:09「賢治の十回目の上京の可能性」に関するシリーズの完結をお慶び申します。「賢治と一緒に暮らした男」同様に、冊子として、ご事情もありましょうがなるべく早く上梓なさることを期待致します。
というコメントを頂いた。
 しかもご自身のツイッター上で、
入沢康夫 2012年2月6日
「みちのくの山野草」http://blog.goo.ne.jp/suzukishuhoku というブログで「賢治の10回目の上京の可能性」という、40回余にわたって展開された論考が完結しました。価値ある新説だと思いますので、諸賢のご検討を期待しております。
とツイートしていることも偶々私は知った。そこで私は、入沢氏からこの「賢治昭和二年上京説」に強力な支持を得ているものと認識した。そして、この説に自信を持つことが出来たのだった。
 また、入沢氏からは、「賢治と一緒に暮らした男」同様に、冊子として、ご事情もありましょうがなるべく早く上梓なさることを期待致します」と仰っていただいたので、これは慫慂に違いないと自分勝手に解釈し、このシリーズを冊子化したのが、自費出版した『羅須地人協会の真実-賢治昭和二年の上京-』である。

 どうやら、「賢治年譜」の大正15年12月2日の「現定説❎」には入沢氏も大いなる疑問を抱いていたということになりそうだ。

 なお、入沢康夫氏からは早い時点から、どこの馬の骨とも分からない私のブログ〝みちのくの山野草〟に興味関心を持って頂いていたようで、いろいろとそのコメント欄を通じてご指導やご助言を頂いていた。このことに関しては〝「入沢康夫氏に感謝し、ご逝去を悼む」〟というシリーズにおいて少しく述べてありますのでどうぞご覧頂きたい。

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 ある著名な賢治研究者が私(鈴木守)の研究に関して、私の性格がおかしい(偏屈という意味?)から、その研究結果を受け容れがたいと言っているという。まあ、人間的に至らない点が多々あるはずの私だからおかしいかも知れないが、研究内容やその結果と私の性格とは関係がないはずである。
 おかしいと仰るのであれば、そもそも、私の研究は基本的には「仮説検証型」研究ですから、たったこれだけで十分です。私の検証結果に対してこのような反例があると、たった一つの反例を突きつけていただけば、私は素直に引き下がります。間違っていましたと。
 一方で、私は自分の研究結果には多少自信がないわけでもない。それは、石井洋二郎氏が鳴らす、
 あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること
という警鐘、つまり研究の基本を常に心掛けているつもりだからである。そしてまたそれは自恃ともなっている。
 そして実際、従前の定説や通説に鑑みれば、荒唐無稽だと言われそうな私の研究結果について、入沢康夫氏大内秀明氏そして森義真氏からの支持もあるので、なおさらにである。

【新刊案内】
 そのようなことも訴えたいと願って著したのが『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』(鈴木 守著、録繙堂出版、1,000円(税込み))

であり、その目次は下掲のとおりである。

 現在、岩手県内の書店で販売されております。
 なお、岩手県外にお住まいの方も含め、本書の購入をご希望の場合は葉書か電話にて、入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金として1,000円分(送料無料)の切手を送って下さい。
            〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守  ☎ 0198-24-9813
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