みちのくの山野草

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「風聞」=「噂話」?

2019-02-12 16:00:00 | 濡れ衣を着せられた高瀬露
《『宮澤賢治と高瀬露』(上田哲・鈴木守共著、友藍書房)の表紙》

荒木 そういうことだったのか。賢治は皮肉を連ねてはいるけど、内心怒り心頭だったのだ。まさに、この時の賢治の激昂振りと「曾て賢治にはなかつた事」のそれとはそっくりではないか。これのことだったのだな、吉田が先に「この証言で全てが皆繋るんじゃないかな」とのたもうたのが。
鈴木 なあるほど、そういうことか。
吉田 先に引用したように、この中舘と賢治との間のやりとりに関して山内修氏は、「普通こうした中傷めいたことは、一笑に付して黙殺するはずだが」と疑問を呈している。
荒木 確かに。もし自分に非がなかったのであれば、賢治も当時既に三十半ばだったのだから何もそこまでムキになる必要もなかっただろうからな。
鈴木 さっき話したように、この中舘は昭和2年の正月松の内にわざわざ羅須地人協会を訪ねて来るような、しかも盛岡中学の5年先輩だ。そのような中舘に対して賢治が「呵々。妄言多謝」と述べているわけだから、とりわけ上下関係の厳しかったであろう旧制中学であったということを考えれば、当時とすればあまりにも失礼な賢治の言動だったということになる。
荒木 しかし、盛中の5年先輩の中舘がどうして松の内にわざわざ賢治の許を訪ねたのだろうか。
鈴木 そこが私にも不思議なんだな。現時点でわかっていることは、『白堊同窓会会員名簿』に、
    明治43年3月卒 中舘武左エ門 一高・京大 本籍 気仙郡世田米村
とあるから、おそらくこの人物が中舘武左衛門であろう。それ以外のことは、少し調べまわってみたのだが今のところわからん。
荒木 ということは、普通だったら繋がりそうにない間柄の賢治と中舘だから、逆に何かあるってことか……。
鈴木 そうなんだよ、絶対何かあるはずだ……。 
吉田 とまれ、賢治からすれば相当痛いところを厳しくズバリと中舘から指摘されたということだ。
荒木 そうだよな、大人の分別をもって「黙殺」すればいいのに。ということは、賢治は余程腹に据えかねていたということか。
吉田 では一体その時どんなことを賢治は中舘から言われたのかというと、残念ながらその内容については従前知られていなかった。ところがこの度、
     露本人が次女に、『賢治さんが遠野の私の所に訪ねて来たことがある』と言った。
という証言を教わって僕はピンときた。まさしくこの賢治の行為ならばその「内容」にピッタリと当て嵌まると。
荒木 確かにな、小笠原家に嫁いだばかりの露の許にわざわざ賢治が訪ねて行ったのだから、露は立場がなくなるし、もしこれが夫の小笠原牧夫や小笠原家の人々に知れてしまったならば、当時のことだからただでは済まない。なにしろ、小笠原家は遠野南部の士族の中でも最上位の家柄なのだからこのことは噂となってたちどころに広まったであろう。
鈴木 それではこれで大体実験道具は揃ったようだから、あとは一つだけ
     「昭和7年に賢治は遠野の露に会いに行った」という「噂話」が花巻にも伝わってきた。
ということを仮定して、先程の「吉田の翻訳」をもう一度し直してくれないかな。
吉田 それではその仮定と、今までのことを踏まえ、僕が先に翻訳したことを修正しながら思考実験をし直してみると、
 賢治と親しいXが、「昭和7年、遠野の小笠原家に嫁いだばかりの露のところに賢治が訪ねて行った」という「噂話」が広がっているということを知ったので、早速Xは賢治にご注進に及んでこの「噂話」を告げたところ、賢治はそれを真に受けて大層興奮して関登久也の家に出かけて行き、露を遠野に訪ねた事についていろいろと弁解して行った。
 その時はそんなにむきになって弁解したという賢治を一寸おかしいと佐藤勝治は思ったが、実はそうではなかったということが後でわかった。
 それは、他人の原稿を無断でラジオ放送に利用するようないい加減な男Xのことだから、告げ口の常套である誇張と悪意を以て病床の賢治にこの「噂話」をしたに違いないし、しかも賢治は人の告げ口を信じやすいタイプだからそれを真に受けてしまったと判断できる。それゆえ、賢治は翌日大層興奮して関登久也の家にわざわざ出かけて行て、露との事についていろいろと弁解して行ったのだった。
 そして、そのむきになって弁解している賢治の姿は、日頃から賢治のことをよく知っている関登久也からすれば、「私は違つた場合を見た様な感じを受けました」と見えた。
ということになるだろう。
鈴木 そうか、今まではこの「噂話」の中身がわからなかったからいま一つ釈然としなかったが、これですっきりとした。
荒木 でもさ、どうして「関登久也の家に」だったのだべ?
鈴木 素直に考えれば、
 賢治に訪ねてこられた露としては彼のその行為は迷惑この上ないことだったから、そのことを花巻高等女学校の級友でもあった関登久也の妻のナヲに『賢治さんが私のところに訪ねてきたので困っている』と相談した。
というあたりだろう。
 というのは、それ以前にも、露が賢治から貰った本を返却しようとした際に露はナヲにそれを頼んでいたから、その可能性は充分にあり得るからだ。しかも、その本の返却の件を夫の登久也が日記に書いているくらいだから、この「噂話」の場合もナヲは夫の登久也に話したであろう。そしてそれが登久也からXにも伝わっていったのであろう。
吉田 そうすると、以前〝賢治を中傷する女の人〟で話題にした関登久也の「面影」の一節、
 …亡くなられる一年位前、病氣がひとまづ良くなつて居られた頃、私の家を尋ねて來られました。それは賢治氏知人の女の人が、賢治氏を中傷的に言ふのでそのことについて賢治氏は私に一應の了解を求めに來たのでした。
 他人の言に對してその經緯(イキサツ)を語り、了解を得ると云ふ樣な事は曾て賢治氏になかつた事ですから、私は違つた場合を見た樣な感じを受けましたが、それだけ賢治氏が普通人に近く見え何時もより一層の親しさを覺えたものです。其の時の態度面ざしは、凛としたと云ふ私の賢治氏を説明する常套語とは反對の普通のしたしみを多く感じました。
             <『イーハトーヴォ第十號』(菊池暁輝編輯、宮澤賢治の會)4pより>
において、
     賢治氏知人の女の人が、賢治氏を中傷的に言ふ「昭和7年、賢治は遠野に露に会いに行った」という「風聞」があるという
というように置換すればすんなりと当て嵌り、すんなりと理解できる。
鈴木 なるほどな。一瞥、この「賢治氏知人の女の人が、賢治氏を中傷的に言ふ」そのものからは、いかにもその「女の人」の側の行為にこそ問題がありそうな印象を受けるが、もしこの「女の人」が実際「賢治氏を中傷的に言ふ」たのであれば、それが露であるということの蓋然性は極めて低い。そのようなことをする時間的余裕がない、遠距離であるという地理的困難さがある、そもそも結婚したばかりの露が賢治を中傷する必然性がない等々、少なからずその理由は挙げられるのだから。
荒木 それと比べれば、実質的には昭和7年に、「賢治は遠野に露に会いに来た」という意味の露本人の証言があるのだから、賢治のこのような行為があったという蓋然性の方が遙かに高かろう。こちらならばその中身が具体的にわかっているわけだが、一方の「賢治氏を中傷的に言ふ」たについてはその中身が何かもわかっていないのが実態だから、なおさらにだべ。
吉田 だから、「賢治氏知人の女の人が、賢治氏を中傷的に言ふ」は実は事実ではなく、真相は
     「昭和7年、賢治は結婚したばかりの露を遠野に訪ねた」という「風聞」があった。
ということさ。おそらく。
荒木 そっか、
 「風聞」=「噂話」=「昭和7年、遠野の小笠原家に嫁いだばかりの露のところに賢治が訪ねて行った」
だったということか。

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 賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』

             〈平成30年6月28日付『岩手日報』一面〉
を先頃出版いたしましたのでご案内申し上げます。
 その約一ヶ月後に、著者の実名「鈴木守」が使われている、個人攻撃ともとれそうな内容の「賢治学会代表理事名の文書」が全学会員に送付されました
 そこで、本当の賢治が明らかにされてしまったので賢治学会は困ってしまい、慌ててこのようなことをしたのではないか、と今話題になっている本です。
 現在、岩手県内の書店での店頭販売やアマゾン等でネット販売がなされおりますのでどうぞお買い求め下さい。
 あるいは、葉書か電話にて、『本統の賢治と本当の露』を入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金分として1,620円(本体価格1,500円+税120円、送料無料)分の郵便切手をお送り下さい。
      〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
               電話 0198-24-9813

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