みちのくの山野草

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本多日生に師事

2020-02-16 14:00:00 | 法華経と賢治
《『日蓮主義とはなんだったのか』(大谷栄一著、講談社)の表紙》

 さて、智学に師事しようと思って上京した妹尾だったが、大谷氏によれば、
 (大正七年三月)二十六日、鶯谷の国柱会館を訪ね、智学への面会を申し出たが、多忙を理由に実現せず、幹部の別枝智救と星野武男(梅耀)と会談して帰路につく。智学との面会はなかなか実現せず、国柱会館に通い雑務を手伝いながら、その機会を待った。…投稿者略…
 同じころ、妹尾は日生の支援者である安川末子という老女と偶然知り合い、四月七日に日生の『法華経の神髄』(大蔵経要義刊行会、一九一七年)を施本されていた。国柱会館落成式後、妹尾はこの本を読み、「寿量品の解釈適切にして滋味湧しが如し」との念を覚える。…投稿者略…妹尾は統一閣をを訪れ、日生の講演を聞いた。そして安川に日生への紹介を希望する。
 …投稿者略…(五月)十九日、日生と面会した妹尾はみずからの信仰上の煩悶を打ち明け、日蓮主義的な指南を求めた結果、宗教家になるという数年来の自分の希望は捨てて、在家として外護の任に当たろうと決意した。
 こうして妹尾は智学にではなく、日生に師事し、在家の日蓮主義者として新たな活動を始めることになる。年齢は二十八歳を迎えていた。
              〈『日蓮主義とはなんだったのか』(大谷栄一著、講談社)323p〉
という。そしてこの経緯については、以前の投稿〝在家で活動することを決意〟で投稿したように、理崎啓氏より教わった、
 妹尾は知人に、本多日生の『日蓮主義の心髄』と言う書物を送られた。統一閣に行って、日生の講義を聴いて…投稿者略…講演会後の晩餐会に出席、紹介してもらうが、敢えて話しはしないで帰った。その後、日生に直接手紙を出すと、翌日すぐに返事が来て二日後に会うことになった。…投稿者略…信仰上の煩悶を聞いてもらい、指導を乞うと、日生は僧にならず信仰していくことを進言した。そこで、妹尾は在家として活動していこう、と決心するのである。

          〈『大凡の日々-妹尾義郎と宗教弾圧』(理崎 啓著、哲山堂)44p〉
と符合する。というわけで、
    妹尾はこのような経緯を経て、本多日生に師事することになり、在家の日蓮主義者として活動をし始めた。
と言えるだろう。

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