みちのくの山野草

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㈢ 賢治終焉前日の定説までもが杜撰だった

2024-01-02 08:00:00 | 『校本宮澤賢治全集』の杜撰













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  ㈢ 賢治終焉前日の定説までもが杜撰だった
 そこで、これはならじと、今度は、他の人たちはこの面談についてどう書き残しているかを調べ、一覧表にしてみた。それが後掲の、【宮澤賢治終焉前々日、前日の面談一覧#1~#4】である。そして、これらの一覧を見比べてみれば、どう考えても、これらからあの「定説★」がすんなりと導けるわけがないことが直ぐ判る。
 それはもちろん、この一覧の⑴~⒇(ただし、「校本年譜」の⒃と⒆は除く)については、
面談が9月19日のものは6件(巽聖歌のものも加えれば7件)
面談が9月20日のものは10件
であることだけからしても明らかだ。日にちが二通りあり、ほぼ半々に分かれているからだ。それは、「校本年譜」の昭和8年9月20日の現在の「定説★」の典拠はどれであり、なぜあのように断定出来たのか、ということでもある。
 言い方を換えれば、「校本年譜」は実証的な裏付けをしっかり取ったり、検証したりしたのかと私は言いたい。誤解を恐れずに言わせてもらえば、典拠などが不確かでいい加減、杜撰の典型ではありませんかとも言いたい。
 さて、こうしてこの一覧を作り終えてやはり思いを致すべきことは、石井洋二郎氏のあの警鐘にだ、と改めて思い知らされる。それは、最後の〝⒇『ワルトラワラ第二十二号』(松田司郎編、ワルトラワラの会)〟だけが唯一、訪問者の氏名がはっきりしているが、これ以外のものはいずれも氏名は明らかにされていない。それどころ
か、佐藤隆房は「姓名も分らぬ農村の人」と書き、「校本年譜」までもが、「どこの人か家の者にはわからなかった」
と記載している。これでは、とりわけ「校本年譜」は「あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること」という基本を蔑ろにしている、と言われても致し方がなかろう。逆に言えば、「定説★」のような面談自体がそもそも本当にあったのかということでもある。それは、最後に挙げた〝(参考)〟のような「賢治訪問謝絶」があったということを知ったならば、なおさらにそう思う。昭和7年の晩秋に、賢治に会いたいので訪問したいという恩師・関豊太郎からの問合せがあったのだが、「健康が優れないから逢つて下さらない方が」と言って宮澤家は謝絶していたということだからだ。もはやこうなると、先の(本書92p)菊池忠二氏の、
 私にとっての最後の疑問は、翌日の昼すぎに臨終をむかえるほどの重い結核の病人が、前の晩に正座して一時間ちかくもはたして対談できるものだろうか、という点である。
という疑問はますます膨らみ、こんな面談ってあり得んだろうに、という非難の声までもが聞こえてきそうだ。
 畢竟するに、第一章では筑摩書房らしからぬ幾つかの杜撰な点を論じたが、その中には「新発見の」とかたって公表した賢治書簡下書によって賢治が傷つけられてしまったことさえもあったというのに、その上に、その際には論じなかった賢治終焉前日の「定説★」までもがかなり杜撰な扱いをされていたことをこの第四章で知り、ある意味これまた賢治の尊厳を傷つけていると私には思えてならず、極めて残念だ。これまで、賢治に関して常識的に考えておかしいところはほぼ皆おかしいということを痛感してきたが、賢治終焉に関わることまでがかくの如く杜撰に扱われているので、「おかしいこと」のとどめを私は刺された思いだからだ。
 そしてここに至って、賢治の甥でもあり私の恩師でもある岩田純蔵先生のあの嘆き、
 賢治はあまりにも聖人・君子化され過ぎてしまって、実は私はいろいろなことを知っているのだが、そのようなことはおいそれとは喋れなくなってしまった。
が、重要なヒントをくれる。何故あのような杜撰な事が為されたのかというその訳についてだ。それは、周りが賢治をあまりにも「聖人・君子化」しようとしたがために、その無理がたたってあのような幾つかの杜撰なことが為されたのではなかろうか、と。そしてまた、恩師が知っているその「いろいろなこと」の中に、その杜撰なことも含まれていたのではなかろうか。例えばその典型として、普通常識的にはあり得ない終焉前日の「定説★」がである。なぜなら、甥であれば賢治終焉の際に身近にいて、その様子を見聞きしていたであろうからだ、
 だから今までは、「恩師の嘆き」とばかり思っていたのだが実はそれだけではなくて、恩師は科学者だから、事実を弄んでいる人たちに対しての「恩師の抗議」でもあったのではなかろうか、とも私には思えてきた。
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《新刊案内》
 この度、拙著『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』

を出版した。その最大の切っ掛けは、今から約半世紀以上も前に私の恩師でもあり、賢治の甥(妹シゲの長男)である岩田純蔵教授が目の前で、
 賢治はあまりにも聖人・君子化され過ぎてしまって、実は私はいろいろなことを知っているのだが、そのようなことはおいそれとは喋れなくなってしまった。
と嘆いたことである。そして、私は定年後ここまでの16年間ほどそのことに関して追究してきた結果、それに対する私なりの答が出た。
 延いては、
 小学校の国語教科書で、嘘かも知れない賢治終焉前日の面談をあたかも事実であるかの如くに教えている現実が今でもあるが、純真な子どもたちを騙している虞れのあるこのようなことをこのまま続けていていいのですか。もう止めていただきたい。
という課題があることを知ったので、
『校本宮澤賢治全集』には幾つかの杜撰な点があるから、とりわけ未来の子どもたちのために検証をし直し、どうかそれらの解消をしていただきたい。
と世に訴えたいという想いがふつふつと沸き起こってきたことが、今回の拙著出版の最大の理由である。

 しかしながら、数多おられる才気煥発・博覧強記の宮澤賢治研究者の方々の論考等を何度も目にしてきているので、非才な私にはなおさらにその追究は無謀なことだから諦めようかなという考えが何度か過った。……のだが、方法論としては次のようなことを心掛ければ非才な私でもなんとかなりそうだと直感した。
 まず、周知のようにデカルトは『方法序説』の中で、
 きわめてゆっくりと歩む人でも、つねにまっすぐな道をたどるなら、走りながらも道をそれてしまう人よりも、はるかに前進することができる。
と述べていることを私は思い出した。同時に、石井洋二郎氏が、
 あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること
という、研究における方法論を教えてくれていることもである。
 すると、この基本を心掛けて取り組めばなんとかなるだろうという根拠のない自信が生まれ、歩き出すことにした。

 そして歩いていると、ある著名な賢治研究者が私(鈴木守)の研究に関して、私の性格がおかしい(偏屈という意味?)から、その研究結果を受け容れがたいと言っているということを知った。まあ、人間的に至らない点が多々あるはずの私だからおかしいかも知れないが、研究内容やその結果と私の性格とは関係がないはずである。おかしいと仰るのであれば、そもそも、私の研究は基本的には「仮説検証型」研究ですから、たったこれだけで十分です。私の検証結果に対してこのような反例があると、たった一つの反例を突きつけていただけば、私は素直に引き下がります。間違っていましたと。

 そうして粘り強く歩き続けていたならば、私にも自分なりの賢治研究が出来た。しかも、それらは従前の定説や通説に鑑みれば、荒唐無稽だと嗤われそうなものが多かったのだが、そのような私の研究結果について、入沢康夫氏や大内秀明氏そして森義真氏からの支持もあるので、私はその研究結果に対して自信を増している。ちなみに、私が検証出来た仮説に対して、現時点で反例を突きつけて下さった方はまだ誰一人いない。

 そこで、私が今までに辿り着けた事柄を述べたのが、この拙著『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』(鈴木 守著、録繙堂出版、1,000円(税込み))であり、その目次は下掲のとおりである。

 現在、岩手県内の書店で販売されております。
 なお、岩手県外にお住まいの方も含め、本書の購入をご希望の場合は葉書か電話にて、入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金として1,000円分(送料無料)の切手を送って下さい。
            〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守  ☎ 0198-24-9813
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