みちのくの山野草

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「土に叫ぶ館」落成・焼失

2019-02-22 16:00:00 | 甚次郎と賢治
《『土に叫ぶ人 松田甚次郎 ~宮沢賢治を生きる~』花巻公演(平成31年1月27日)リーフレット》

 では今回は、「土に叫ぶ館」について投稿したい。

 まずは、「最上共働村塾」の塾舎についてだが、これは〝『最上共働村塾』〟で触れたように、「村端れの営林署の苗圃の捨てられた番小屋」そ修復したものであった。ところが、〝『最上共働村塾』〟で述べたように、「昭和十一年七月、閉塾のやむなきに至った」。そして昭和12年8月、甚次郎は実家に戻ったという。

 そしてその後のことについて、甚次郎は、
 それから歸鄕十年を回顧反省して冬中かゝつて執筆した「土に叫ぶ」が愈出版の運びとなつた。その頃私は肋膜炎と中耳炎を患ひ、土に親しむことも出來ず、療養と安静の日夜を送つた。
 「要るものは要る。建つべきものは必ず建つ」と、私の畏友は塾閉止のとき力付けて呉れたが、その喜びの機會が間もなくやつて來た。羽田氏を初め、新國劇や其の他の有志の後援によつて十一月には塾舎新築の設計計畫も出來上がり、愈〻地均しの上建設に着手したのが十一月の二十日であつた。…(投稿者略)…一同の努力は、十二月十日に地鎭祭を挙行するところまでこぎつけた。…(投稿者略)…愈晴の一月十日が訪れた。…(投稿者略)…石川、群馬、山形、秋田、岩手の各地から男子十名女子二名の新入生を迎えて、一年有餘休塾した我塾はこゝに新しく發足をこの新しい塾舎の完成と共に擧げることになつた。
             〈『續 土に叫ぶ』(松田甚次郎著、羽田書店)149p~〉
と述べていた。
 なお、これは世の常だとは思うのだが、『土に叫ぶ』が売れに売れたものだから、甚次郎はベストセラー作家になったことで一部の人から妬まれ、、甚次郎は農事には無関心になったと誹られたり非難されたりもしたという。しかしもちろん、甚次郎は無関心になったわけではない。それは、次の安藤玉治の記述からも明らかなはずだ。
 …(投稿者略)…(昭和13年)五月には肋膜炎が再発、中耳炎も併発して療養を余儀なくされた。
『土に叫ぶ』出版の頃は本宅の土蔵の座敷に病臥の身であったが、八月に入って新国劇に取り上げられる頃には、健康も回復し…
             〈『「賢治精神」の実践』(安藤玉治著、農文協)150p~〉
と安藤は述べていて、同年の秋からは稲刈りもできるような身体に回復したという。そこで、健康が回復した甚次郎は次に塾舎の建設に着手、昭和14年1月10日には落成(塾舎は「土に叫ぶ館」と呼ばれた)し、「最上共働村塾」を同時に再開したということになる。

 ところがなんと、不運にも、その出来上がったばかりの新塾舎「土に叫ぶ館」が同年5月27日焼失した(この時、それまでに賢治から貰っていた手紙も焼失)のだそうだ。しかしそれでも、
 はるばる岩手縣から七八名の靑年達が來られたのをはじめ、花巻賢治の會からは伊藤二兄…(投稿者略)…各地の同氏靑年が馳せ参じ應援して下さつたのである。一方盛岡賢治の會は全國に魁けして再建後援の會をつくつて下さり、山形賢治の會でも中心となって最上共働村塾再建後援會が、全國に六十四名の發起人をもって組織されて着々後援準備が進められたのである。…(投稿者略)…一千有餘の全國の方々から賜つた、大金が再建後援會を通じて送り屆けられた。
             〈『續 土に叫ぶ』(松田甚次郎著、羽田書店)158p~〉
ということなどの沢山の支援等が寄せられ、昭和14年12月3日、ついに『土に叫ぶ館』は再建されたのだそうだ。

 したがって、これらのことからは、松田甚次郎が全国規模で多くの人々から如何に慕われ、信頼され、期待されていたかということなどが容易に想像がつく。そしてそれは、綺麗事を言っているだけではなく、仲間と一緒になって、まさに
 農業恐慌により疲弊していく村を守るために有機農業を主とした自給自足的農業経営を実践します。村に消費組合を組織し、禁酒や女性の地位向上運動などにも力を注ぎました。
              〈『広報 しんじょう7 No.715』4pの「松田甚次郎とは」より〉
からであろう。
 だから改めて思い出すのは、吉本隆明のある座談会での、
 日本の農本主義者というのは、あきらかにそれは、宮沢賢治が農民運動に手をふれかけてそしてへばって止めたという、そんなていどのものじゃなくて、もっと実践的にやったわけですし、また都会の思想的な知識人活動の面で言っても、宮沢賢治のやったことというのはいわば遊びごとみたいなものでしょう。「羅須地人協会」だって、やっては止めでおわってしまったし、彼の自給自足圏の構想というものはすぐアウトになってしまった。その点ではやはり単なる空想家の域を出ていないと言えますね。しかし、その思想圏は、どんな近代知識人よりもいいのです。
           〈『現代詩手帖 '63・6』(思潮社)18p〉
という発言だ。

 そこでもはや誤解を恐れずに私は言わねばならない。甚次郎は恩師宮澤賢治先生から、
 そんなことでは私の同志ではない。これからの世の中は、君達を學校卒業だからとか、地主の息子だからとかで、優待してはくれなくなるし、又優待される者は大馬鹿だ。煎じ詰めて君達に贈る言葉はこの二つだ――
   小作人たれ
   農村劇をやれ。
             <『土に叫ぶ』(松田甚次郎著、羽田書店)3p>
と強く「訓へ」られて、愚直にそれを、つまり「賢治精神」実践したと言えるだろう。そしてそれは、実践という観点から言えば甚次郎は疾うに恩師を越えていたのだ、と。そのような甚次郎の「賢治精神」のひたむきな実践があり、それが周りに知られていて、評価されていたからこそ、「土に叫ぶ館」が建てられ、それが焼失しても直ぐにまた再建できたのだ、と。

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 賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』

             〈平成30年6月231日付『岩手日報』一面〉
を先頃出版いたしましたのでご案内申し上げます。
 その約一ヶ月後に、著者の実名「鈴木守」が使われている、個人攻撃ともとれそうな内容の「賢治学会代表理事名の文書」が全学会員に送付されました
 そこで、本当の賢治が明らかにされてしまったので賢治学会は困ってしまい、慌ててこのようなことをしたのではないか、と今話題になっている本です。
 現在、岩手県内の書店での店頭販売やアマゾン等でネット販売がなされおりますのでどうぞお買い求め下さい。
 あるいは、葉書か電話にて、『本統の賢治と本当の露』を入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金分として1,620円(本体価格1,500円+税120円、送料無料)分の郵便切手をお送り下さい。
      〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
               電話 0198-24-9813

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