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ガリレオ・ガリレイの略年譜

2019-01-06 14:00:00 | ガリレオと賢治研究
《『コミック版 世界の伝記 ガリレオ』(能田達規著、ポプラ社)》

荒木 実はさ、ガリレオについて少しは知っているつもりだったのだが、さっきペラペラ頁を捲って直ぐ覚ったことが、殆ど知らないことばかりだったじゃ。
鈴木 実は私もなんだな。
吉田 それならば、この本の巻末に年譜があるから、そこから主な項目を拾って「ガリレオの略年譜」を作ってみるのはどうだろか。
荒木 おお、それはいい考えだ。それじゃ俺が拾ってゆくから、鈴木が書き並べてくれ。
吉田 その際には、ガリレオが初めて発見した事項は例えば赤色にしてもらえればありがたい。
************************************** ということで出来上がったのが、以下のような「ガリレオの略年譜」である。**************************************
1564年  2月15日 イタリアのピサで出生。
1574年(10歳) フィレンツェへ引っ越す。
1579年(15歳) サンタ・マリア修道院入学。
1581年(17歳) ピサ大学入学。
1583年(19歳) 「振り子の等時性」発見
1583年(21歳) 大学を中退してフィレンツェに戻る。フィレンツェとシエナで数学の家庭教師を始める。
1586年(22歳) 最初の論文『小天秤』発表。
1589年(25歳) ピサ大学の講師になる。
1591歳(27歳) 父亡くなる。
1592年(28歳) パドヴァ大学の教授就任。
1597年(33歳) ケプラー宛書簡で、地動説を信じていることを伝える。
1599年(35歳) パドヴァ大学び教授再任。
1605年(41歳) コジモ・デ・メディチの家庭教師となる。
1607年(43歳) 放り投げた物体が放物線を辿ることを発見
1609年(45歳) 6月、自作の望遠鏡完成。天体観測開始。12月、月の表面がでこぼこであることを発見
1610年(46歳) 1月、木星の衛星発見。7月、ピサ大学の筆頭数学教授任命。12月、金星の満ち欠け発見
1613年(49歳) 『太陽黒点論』出版(太陽の黒点発見)。
1615年(51歳) 地動説を唱えて訴えられる。
1616年(52歳) ローマ教皇庁検邪聖省から、以後地動説を唱えないよう注意を受ける。
1623年(59歳) 『贋金鑑識官』を出版し、宇宙に対する考えが教会と対立。
1630年(66歳) 『天文対話』完成。
1632年(68歳) 2月、『天文対話』出版。7月、『天文対話』教皇より出版禁止。
1633年(69歳) 検邪聖省の取調を受ける。6月、地動説の「誤り」を認めて罪を受け入れ。
1635年(71歳) 『新科学対話』完成。
1638年(74歳) オランダで『新科学対話』出版。
1642年 1月8日死亡(享年77歳)
1992年 教会の破門が解かれ、名誉回復。
            〈『コミック版 世界の伝記 ガリレオ』(能田達規著、ポプラ社)120p~〉
******************************************************************  以上   **************************************************************
荒木 そっか、ガリレオって結構色んなことを発見してたんだ。俺は、ガリレオっていえば地動説とばっかり思っていたのだが、その説を当時唱えていたのはコペルニクスであり、ガリレオはそれを支持し、実験等によって検証していたということだったのか。
 それにしても、名誉が回復したのは亡くなってから何と350年も経ってからだったんだ、吃驚だな。
吉田 しかも、ガリレオは、
   ・落体の法則
   ・ガリレオの相対性原理
などの「真理」も導き出していた。
 所詮、原理も法則の一つだから、要はこれらはいずれも仮説でもある。つまりガリレオはこれらの仮説を定立して、検証を繰り返していたわけだ。そして、その後も多くの科学者によって検証がなされ、その反例が見つからないということが明らかになったので、やがてこれらは真理として認められたわけだ。
鈴木 そうだったのか。これで、「仮説検証型研究」の偉力と重要性が改めてわかったよ。
 これでよし、ガリレオのイメージがある程度掴めたぞ。

<*1:註> 【仮説】自然科学その他で、一定の現象を統一的に説明しうるように設けた仮定。ここから理論的に導きだした結果が観察や実験で検証されると、仮説の域を脱して一定の限界内で妥当する真理となる。〈『広辞苑 第二版』(岩波書店)〉

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      〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
               電話 0198-24-9813

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