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《三輪の白い片栗(種山高原、令和3年4月27日撮影)》
白い片栗はまるで、賢治、露、そして岩田純蔵先生の三人に見えた。
そして、「曲学阿世の徒にだけはなるな」と檄を飛ばされた気がした。
白い片栗はまるで、賢治、露、そして岩田純蔵先生の三人に見えた。
そして、「曲学阿世の徒にだけはなるな」と檄を飛ばされた気がした。
さて、では今度は
【『宮澤賢治研究4』(昭和10年11月)】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/a8/cdaa29bc8e95ddcb8a6990db0d3bed1a.jpg)
からである。そしてこの目次は上掲のとおりだ。
そこで通読してみると、あることに気づく。どうやら、少なくともこの時点で既に、賢治を聖人・神格化する動きが現れ始めていたようだということだ。それは、特に古谷綱武の寄稿「全人宮澤賢治」のタイトルそのものから窺えるし、その記載内容からはさらに明らかだからだ。例えば、
宮澤賢治は決して單なる一文學者ではない。文學者は彼の一屬性にすぎないのだ。そして同時にゲーテ的な意味で、彼は詩の奴隷ではなくて眞の「詩人」である。教育上で用ひられてゐる「全人」といふ言葉こそ彼にふさはしく、彼こそは實現して實在した全人である。
〈『宮澤賢治研究4』(草野心平編、昭和10年11月)19p〉とあるからである。「全人」であり、しかもそれを「實現して」いたというのである。そしてその根拠等を、
本誌第三號所載の平來作氏の「ありし日の思ひ出」を讀んで、一層以上の氣持ちを強くしたのであるが、これほど美しく書かれた故人の追悼文章といふものは…投稿者略…これほど自然で素直な眞實をもつて聖者の姿を描かせた宮澤賢治は、單なる文學者の歴史に殘る人ではなく、昭和聖賢の歴史に列すべき人である。
〈同19p~〉と述べていた。「昭和聖賢の歴史に列すべき」と、である。
しかし冷静に考えてみれば、教え子(の平來作)が恩師を褒め称える追悼文章を書くのは世の常であり、その文章をそのまま還元するわけにはいかないのも当然のはずだ。まして、古谷はこの追悼文の内容を検証したとも、裏付けを取ったとも言っていないし、生前の賢治を知っていたはずもない(そのことは、『宮澤賢治研究2』所収の古谷の「とりとめもなく」を読めば明らかだ)のだからなおさらにだ。
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《新刊ご案内》
『筑摩書房様へ公開質問状 「賢治年譜」等に異議あり』(鈴木 守著、ツーワンライフ出版、550円(税込み))
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【目次】
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【序章 門外漢で非専門家ですが】
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