みちのくの山野草

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『高村光太郎山居七年』サンタクロース

2024-01-30 14:00:00 | 独居自炊の光太郎
〈『高村光太郎』(佐藤進監修、高村記念会)18p》

 かつて、光太郎がサンタクロースに扮した写真を見た記憶がある。どうやらこのトップのような写真だった気がする。そしてあれはどんな経緯があて撮った写真なのだろうかろうかと、ずっと気になっていた。
 そしてこの度、その経緯をある程度知ることが出来た。それは、『山口と高村光太郎先生』(浅沼政規著、高村記念会)の中でこんなことが紹介されていたからだ。

   先生がサンタクロースに
 開校以来、十二月三日を学校の開校記念日として、父母を招いて学芸会を催しました。先生は毎年この学芸会にいらして下さり、児童の童謡や唱歌や遊戯などをご覧になって、拍手を送って下さいました。
 その日もプログラムがすすんで、二年生の五、六人が舞台に出て、丸く輪をつくり、オルガンに合わせて遊戯を始めました。
 すると、そこにサンタクロースに扮した長身の先生が舞台に上がられて、
 「みなさん、おもしろそうだね。僕も一緒に踊りましょう。」
と、輪に入って手をつなぎました。
 《サンタクロースの歌》がオルガンで奏でられ、それに合わせて遊戯が続けられました。先生も一緒になって、手を振りあげたり、脚を曲げたりして、踊り続けました。みんなが盛んに拍手を贈りました。
 舞台のバックには、《天の川》の空に星が輝いています。
 それをご覧になりながら、先生は、
「ああ、今夜の空はきれいだね。ごらん、天の川の空に横たわり、星は美しく、きらきら輝いています。昔の人は『求めよ、然らば与えられん。叩けよ、然らば開かれん。』と、教えてくれました。みなさんも、いま、『お菓子が欲しい』と歌いましたね。お菓子が欲しいと歌っているみなさんにも、大きくなると、また、欲しいものが出てきます。それは真理というものです。
 子供のみなさんには、難しくて分からないでしょうけれども、真理ということは、一番大きな、一番大切なことなのです。
 いつの時代でも、世界中の人にとって大切なことです。それが世界を幸せにしていく基になるのです。どうにかして、それを求めていくのです。みんなの真理を求めていくのです。
 みんな良い子ですね。それではご褒美をあげますよ。」
と、大きな白い袋からお菓子袋を出して、みんなに渡しました。
           〈『山口と高村光太郎先生』(浅沼政規著、高村記念会)36p~〉

 最近高村光太郎の日記を少しだけだが読み進めて、いくつかのことに感じ入っているのだが、その一つが光太郎は子どもたちに対してとても優しかったということだ。ただしそれは、子どもを子ども扱いしていることによるのではなくて、逆に子どもも一人の人間してその尊厳を認めているからだと私なりに解釈出来たからだ<*1>。そしてなぜそのように解釈したのかというと、光太郎がてらいもなく子どもたちに「真理ということは、一番大きな、一番大切なことなのです。いつの時代でも、世界中の人にとって大切なことです。それが世界を幸せにしていく基になるのです」と正論を語っていたことを知ったからだ。そのことに気づき、光太郎のあれは自己流謫などとは言えないという人もいるようだ<*2>し、そのことで私の考えもぐらつき始めていたのだが、かぶりを振った。そうではなくてやはりあれは自己流謫でいいのだ、と。そしてまた、光太郎が小学生に対してかくの如く真理について語っている場面を思い描きながら、光太郎っていう人はとても素晴らしい人物であり、尊敬すべき人なのだとも。しかも、これは光太郎が大人に対しても訴えたかったことだろうとも思えて、大人の端くれの私は恥じ入るとともに我が身を正さねばと言い聞かせた。
 やはり、「真理ということは、一番大きな、一番大切なこと」であり、それがゆえに逆にそうすることによっては自分が不利になることもあるだろうが、結局は「いつの時代でも、世界中の人にとって大切なことです。それが世界を幸せにしていく基になるのです」と、自信を持っていいのだと。

<*1:投稿者註> このことは、『山荘の高村光太郎』の中の佐藤勝治の次の記述からも示唆される。
 高村先生は、私にも妻にも子供たちにも、まったく対等に温顔で接して下さいました。年令の差さえ感じさせませんでした。
 「僕は相手の年令を考えたことはない」
 とおっしゃったこともあります。智惠子さんの年さえ亡くなる近くまで、はっきり知らなかったといっておられました。私に対して、むかしからの友人のように、親しくへだてなくお話して下さいました。
            〈『山荘の高村光太郎』(佐藤勝治著、現代社)37p〉
<*2:投稿者註> 同じく『山荘の高村光太郎』において佐藤勝治は、 
 あとでは先生も、「自己流謫」ということばを使われたり、「追いつめられてここへ来たようなものだ」というようなことも書いておりますが、これはつまり文学的表現で、初め一、二年の元気は大したものでした。
と述べている。
            〈『山荘の高村光太郎』(佐藤勝治著、現代社)42p〉

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 この度、拙著『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』

を出版した。その最大の切っ掛けは、今から約半世紀以上も前に私の恩師でもあり、賢治の甥(妹シゲの長男)である岩田純蔵教授が目の前で、
 賢治はあまりにも聖人・君子化され過ぎてしまって、実は私はいろいろなことを知っているのだが、そのようなことはおいそれとは喋れなくなってしまった。
と嘆いたことである。そして、私は定年後ここまでの16年間ほどそのことに関して追究してきた結果、それに対する私なりの答が出た。
 延いては、
 小学校の国語教科書で、嘘かも知れない賢治終焉前日の面談をあたかも事実であるかの如くに教えている現実が今でもあるが、純真な子どもたちを騙している虞れのあるこのようなことをこのまま続けていていいのですか。もう止めていただきたい。
という課題があることを知ったので、
『校本宮澤賢治全集』には幾つかの杜撰な点があるから、とりわけ未来の子どもたちのために検証をし直し、どうかそれらの解消をしていただきたい。
と世に訴えたいという想いがふつふつと沸き起こってきたことが、今回の拙著出版の最大の理由である。

 しかしながら、数多おられる才気煥発・博覧強記の宮澤賢治研究者の方々の論考等を何度も目にしてきているので、非才な私にはなおさらにその追究は無謀なことだから諦めようかなという考えが何度か過った。……のだが、方法論としては次のようなことを心掛ければ非才な私でもなんとかなりそうだと直感した。
 まず、周知のようにデカルトは『方法序説』の中で、
 きわめてゆっくりと歩む人でも、つねにまっすぐな道をたどるなら、走りながらも道をそれてしまう人よりも、はるかに前進することができる。
と述べていることを私は思い出した。同時に、石井洋二郎氏が、
 あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること
という、研究における方法論を教えてくれていることもである。
 すると、この基本を心掛けて取り組めばなんとかなるだろうという根拠のない自信が生まれ、歩き出すことにした。

 そして歩いていると、ある著名な賢治研究者が私(鈴木守)の研究に関して、私の性格がおかしい(偏屈という意味?)から、その研究結果を受け容れがたいと言っているということを知った。まあ、人間的に至らない点が多々あるはずの私だからおかしいかも知れないが、研究内容やその結果と私の性格とは関係がないはずである。おかしいと仰るのであれば、そもそも、私の研究は基本的には「仮説検証型」研究ですから、たったこれだけで十分です。私の検証結果に対してこのような反例があると、たった一つの反例を突きつけていただけば、私は素直に引き下がります。間違っていましたと。

 そうして粘り強く歩き続けていたならば、私にも自分なりの賢治研究が出来た。しかも、それらは従前の定説や通説に鑑みれば、荒唐無稽だと嗤われそうなものが多かったのだが、そのような私の研究結果について、入沢康夫氏や大内秀明氏そして森義真氏からの支持もあるので、私はその研究結果に対して自信を増している。ちなみに、私が検証出来た仮説に対して、現時点で反例を突きつけて下さった方はまだ誰一人いない。

 そこで、私が今までに辿り着けた事柄を述べたのが、この拙著『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』(鈴木 守著、録繙堂出版、1,000円(税込み))であり、その目次は下掲のとおりである。

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