みちのくの山野草

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『高村光太郎山居七年』「岩手は日本の美の中心地だとも思うのです」

2024-01-29 14:00:00 | 独居自炊の光太郎
〈『高村光太郎山居七年』》(佐藤隆房著、筑摩書房)

『高村光太郎山居七年』にこんなことが紹介されていた。
 ……このヤツカの林は、岩手の美の概念を表徴していますね。僕の見た目では、岩手は日本の美の中心地だとも思うのです。……雪が消えかかって去年の秋の枯草がが黄色く見えるところへバッケが出る。そのバッケを食べている間にヤツカの枝にははやばやと金モールのように花がぶら下がります。今は新緑だがやがて俵のような雌花がヤシャの実になる。田のヘリにはヤブカンゾウの芽が盛んに出、山の人はこれをカッコとよんでます。ショウジョウバカマのつやつやした葉の蓮台に紫がかったあかいかわいい花が咲きますし、カタクリの紫の花が幅広の光のある葉にそって美しく下をむいて咲く。オウレンが咲いたり、ロウバイには黄色い花、今はゼンマイがすぎてワラビやシドケ、コゴミ、カンデナなど、山菜はいいですね、山菜のかおりはすばらしいです。雪の上をわたる鼠や兎や狐の足跡も消えて、今は美しい小鳥の世界です。セグロコマドリ、ルリ、ウソ、山鳩、ヒバリ、セキレイがやって来、ホオジロはどこにでもいます。コマドリが林をこだまして鳴くその声はすさまじいです。ルリの艶麗な音楽も又一段とよいです。これから夏までにはスミレやタンポポやとりどりの花が野原一面、美しい花野となります。
           〈『高村光太郎山居七年』(佐藤隆房著、筑摩書房)102p~〉
 もちろんこの発言の主は高村光太郎であり、「このヤツカの林は、岩手の美の概念を表徴していますね。僕の見た目では、岩手は日本の美の中心地だとも思うのです」と言い切っていることを知った。私はこれでますます光太郎という人物に引き込まれつつある。
 実は、この度光太郎の日記をここまで少し読んでみて光太郎が山口の自然に興味を持ち、調べ、愛でていたのだということに私は気づき出していたが、これらのことをこれほどまでに広く、徹底し、そして山口を愛していたのだと私は思っていなかった。
 ついては、今年はまずは山口山を眺めながら、これらを自分の目で直に確かめ、周辺を逍遙せねばと私は自分に言い聞かせるのだった。今までは、「ヤツカ」とは何のことか分からなかったが、それはハンノキのことだと教わった。「ヤツカの枝にははやばやと金モールのように花がぶら下がります」ということなので、その光景も見てみたい。私が今までに見てきたハンノキの花は「金色」という印象はない。そして、山口にオウレンやロウバイがあるなどとは思いもよらなかった。

 ついては、光太郎が、「このヤツカの林は、岩手の美の概念を表徴していますね。僕の見た目では、岩手は日本の美の中心地だとも思うのです」と褒め称えている、この「中心地」を少しでもいいから今年は体感してみたい。

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 この度、拙著『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』

を出版した。その最大の切っ掛けは、今から約半世紀以上も前に私の恩師でもあり、賢治の甥(妹シゲの長男)である岩田純蔵教授が目の前で、
 賢治はあまりにも聖人・君子化され過ぎてしまって、実は私はいろいろなことを知っているのだが、そのようなことはおいそれとは喋れなくなってしまった。
と嘆いたことである。そして、私は定年後ここまでの16年間ほどそのことに関して追究してきた結果、それに対する私なりの答が出た。
 延いては、
 小学校の国語教科書で、嘘かも知れない賢治終焉前日の面談をあたかも事実であるかの如くに教えている現実が今でもあるが、純真な子どもたちを騙している虞れのあるこのようなことをこのまま続けていていいのですか。もう止めていただきたい。
という課題があることを知ったので、
『校本宮澤賢治全集』には幾つかの杜撰な点があるから、とりわけ未来の子どもたちのために検証をし直し、どうかそれらの解消をしていただきたい。
と世に訴えたいという想いがふつふつと沸き起こってきたことが、今回の拙著出版の最大の理由である。

 しかしながら、数多おられる才気煥発・博覧強記の宮澤賢治研究者の方々の論考等を何度も目にしてきているので、非才な私にはなおさらにその追究は無謀なことだから諦めようかなという考えが何度か過った。……のだが、方法論としては次のようなことを心掛ければ非才な私でもなんとかなりそうだと直感した。
 まず、周知のようにデカルトは『方法序説』の中で、
 きわめてゆっくりと歩む人でも、つねにまっすぐな道をたどるなら、走りながらも道をそれてしまう人よりも、はるかに前進することができる。
と述べていることを私は思い出した。同時に、石井洋二郎氏が、
 あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること
という、研究における方法論を教えてくれていることもである。
 すると、この基本を心掛けて取り組めばなんとかなるだろうという根拠のない自信が生まれ、歩き出すことにした。

 そして歩いていると、ある著名な賢治研究者が私(鈴木守)の研究に関して、私の性格がおかしい(偏屈という意味?)から、その研究結果を受け容れがたいと言っているということを知った。まあ、人間的に至らない点が多々あるはずの私だからおかしいかも知れないが、研究内容やその結果と私の性格とは関係がないはずである。おかしいと仰るのであれば、そもそも、私の研究は基本的には「仮説検証型」研究ですから、たったこれだけで十分です。私の検証結果に対してこのような反例があると、たった一つの反例を突きつけていただけば、私は素直に引き下がります。間違っていましたと。

 そうして粘り強く歩き続けていたならば、私にも自分なりの賢治研究が出来た。しかも、それらは従前の定説や通説に鑑みれば、荒唐無稽だと嗤われそうなものが多かったのだが、そのような私の研究結果について、入沢康夫氏や大内秀明氏そして森義真氏からの支持もあるので、私はその研究結果に対して自信を増している。ちなみに、私が検証出来た仮説に対して、現時点で反例を突きつけて下さった方はまだ誰一人いない。

 そこで、私が今までに辿り着けた事柄を述べたのが、この拙著『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』(鈴木 守著、録繙堂出版、1,000円(税込み))であり、その目次は下掲のとおりである。

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