みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

「昭和六年七月七日の日記」の信憑性

2024-02-08 14:00:00 | 濡れ衣を着せられた高瀬露

15

16

 続きへ
前へ 
 “ 「聖女の如き高瀬露」の目次”へ。
 〝渉猟「本当の賢治」(鈴木守の賢治関連主な著作)〟へ。
********************************** なお、以下は今回投稿分のテキスト形式版である。**************************
 「昭和六年七月七日の日記」の信憑性
 もちろん同様な危惧を抱いているのは私のみではない。例えば、次の各氏が
・上田哲は前掲論文〝<悪女>にされた高瀬露〟のみならず論考〝賢治をめぐる女性たち〟(『図説宮沢賢治』(上田哲、関山房兵等共著、河出書房新社、平成8年)所収)においても同様な指摘している。
・佐藤誠輔氏は「宮沢賢治と遠野 二」という論考(『遠野物語研究第7号』(遠野物語研究所、平成16年)所収)においてやはり同様な疑問を投げかけている。
・tsumekusa氏が管理するブログ〝「猫の事務所」調査書〟も、平成17年からその問題点を指摘して考察している。
からである。
 なお、巷間言われている〈悪女伝説〉は真実を語っていないおそれがあるということを知り、いつまでもこの状態が続くことは許されないのだということを私が認識できたのはとりわけtsumekusa氏のこのブログに負うところが大きい。
 さらにこの度、この「昭和六年七月七日の日記」の記述に関して異議を唱えている人が他にもいることを知った。その人は佐藤通雅氏であり、同氏は
 一個人による回顧談は、そのまま事実としてうけとめるわけにはいない。回顧する者の主観が作用することはよくあるし、人物の知名度にしたがって粉飾をほどこしてしまうこともある。
と警鐘を鳴らし、具体的には、森が賢治の許を訪れた際に露とすれ違ったという例の件に関して次のように論じている。
 目がきらきらと輝いていた。そして丸顔の両頰がかっかっと燃えるように赤かった。全部の顔いろが小麦いろゆえ、燃える頰はりんごのように健康な色だった。かなりの精神の昂奮でないと、ひとはこんなにからだ全体で上気するものではなかった。…(筆者略)…
 このような描写にせっすると、森のやろうとしているのは、単なる回顧譚でも評伝でもなかったと知る。…(筆者略)…明らかに森自身の自在な解釈また想像力がはたらいている。…(筆者略)…そのまま事実におろしてくるのは危険でもある。              
  <共に『宮澤賢治 東北砕石工場技師論』(佐藤通雅著、洋々社、
平成12年)80p~より>
 私はこの佐藤氏の警鐘と指摘を知って安堵した。「森自身の自在な解釈また想像力がはたらいている」というようなおそれを抱く人がここにも居たことを知ったからだ。そして、「昭和六年七月七日の日記」の記述内容をそのまま丸ごと事実であるという解釈はできないのだという確信がさらに深まった。それは、佐藤氏は続けて次のように
 …彼女はカレーライスをはこんできた。ところが賢治は「私には、かまわないで下さい。私には食べる資格はありません。」ときつくいう。
 悲哀と失望と傷心とが、彼女の口をゆがませ頰をひきつらし、目にまたたきも与えなかった。彼女は次第にふるえ出し、真赤な顔が蒼白になると、ふいと飛び降りるように階下に降りていった。
 彼女は階下におりると、オルガンをひきだした。「みんなひるまは働いているのですから、オルガンは遠慮して下さい。やめて下さい。」ととめても、ひきやまなかった。
(涙があとからあとから湧くように流れ、手を足を動かさないでいると、わくわくふるえるのが、どうしてもとまらない。死人のように真蒼な顔をしている彼女の耳には、自分のひくオルガンの音が、まるで遠く微かな、夜の果てから聞こえてくるもののようにしかきこえなかった。)
 このカレー事件の描写は、あたかもその場にいあわせ、二階のみならず階下へまで目をくばっているような臨場感がある。しかしいうまでもなく、両方に臨場することは不可能だ。…(筆者略)…見聞や想像を駆使してつくりあげた創作であることは、すぐにもわかる。
<『宮澤賢治 東北砕石工場技師論』82p~より>
と、さらに指摘をしていたからでもある。
 つまり、佐藤氏も主張するとおり、森の「昭和六年七月七日の日記」の露に関する記述内容を「そのまま事実におろしてくるのは危険」であり、その中には確かにその信憑性がかなり薄いものもあると改めて言わざるを得ない。 
 さらに次のような不安も募ってくる。
 それは、「昭和六年七月七日の日記」中の「彼女の思慕と恋情とは焰のように燃えつのつて、…一日に二回も三回も遠いところをやつてきたり云々」や「もはや家もかりてあり、世帶道具もととのえて云々」は共にその信憑性がかなり危ういものだということを先に私は示すことができたが、上田も同様な不安を抱いていて、例えば「彼女の思慕と恋情とは焰のように燃えつのつて」については、
 これは彼女の心の奥底の状態であって森は知ることが出来ないものである。森は、高瀬露からその心情を聞いたのだろうか。
と訝っているからである。
 しかも上田は引き続いて、
 森は彼女に逢ったのは、〈一九二八年の秋の日〉〈下根子を訪ねた〉その時、彼女と一度あったのが初めの最後であった。その後一度もあっていないことは直接わたしは、同氏から聞いている。
<共に『七尾論叢 第11号』(七尾短期大学、平8)77pより>
と述べているのだが、森は一方、『ふれあいの人々 宮澤賢治』所収の「高雅な和服姿の〝愛人〟」 の中で、
 この女の人が、ずっと後年結婚して、何人もの子持ちになってから会って、いろいろの話を聞き、本に書いた。
<『宮澤賢治 ふれあいの人々』(森荘已池著、熊谷印刷出版部、
昭63)17pより>
と述べていて、しかも「この女の人」とは前後の文章から露のことを指しているということが直ぐ読み取れるからである。
 つまり、上田に対して森は「その時、彼女と一度あったのが初めの最後であった」と語っているのに、露が結婚してからも森は露に会って取材していると別のところでは記述していることになる。それぞれの出版時期に注意すれば明らかにこれらの間には矛盾があり、森はその場しのぎのしかし決定的な嘘をついていたというおそれが出てきた。
 だからもはやこうなってしまうと、一度しか会っていないと言っていながらも別の場所では、その他の機会にも会っていると述べているくらいだから、もしかすると実は森は一度も露とは会っていないということさえもあり得る。
 となれば、「少なくとも露に関する森の証言等はそのままでは賢治伝記の資料としては使えないことが明らかになった」と言わざるを得ず、
 森の「昭和六年七月七日の日記」の中の露に関する記述内容は全て一度徹底的に検証せよ。……○☆
というミッションが天上の賢治から下ったと言えそうだ。
******************************************************* 以上 *********************************************************
 続きへ
前へ 
 “ 「聖女の如き高瀬露」の目次”へ。
 〝渉猟「本当の賢治」(鈴木守の賢治関連主な著作)〟へ。
 ”みちのくの山野草”のトップに戻る。

 ある著名な賢治研究者が私(鈴木守)の研究に関して、私の性格がおかしい(偏屈という意味?)から、その研究結果を受け容れがたいと言っているという。まあ、人間的に至らない点が多々あるはずの私だからおかしいかも知れないが、研究内容やその結果と私の性格とは関係がないはずである。
 おかしいと仰るのであれば、そもそも、私の研究は基本的には「仮説検証型」研究ですから、たったこれだけで十分です。私の検証結果に対してこのような反例があると、たった一つの反例を突きつけていただけば、私は素直に引き下がります。間違っていましたと。
 一方で、私は自分の研究結果には多少自信がないわけでもない。それは、石井洋二郎氏が鳴らす、
 あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること
という警鐘、つまり研究の基本を常に心掛けているつもりだからである。そしてまたそれは自恃ともなっている。
 そして実際、従前の定説や通説に鑑みれば、荒唐無稽だと言われそうな私の研究結果について、入沢康夫氏や大内秀明氏そして森義真氏からの支持もあるので、なおさらにである。

【新刊案内】
 そのようなことも訴えたいと願って著したのが『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』(鈴木 守著、録繙堂出版、1,000円(税込み))

であり、その目次は下掲のとおりである。

 現在、岩手県内の書店で販売されております。
 なお、岩手県外にお住まいの方も含め、本書の購入をご希望の場合は葉書か電話にて、入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金として1,000円分(送料無料)の切手を送って下さい。
            〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守  ☎ 0198-24-9813
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 検証もせず裏付けもないままに | トップ | 「一九二八年」の不思議 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

濡れ衣を着せられた高瀬露」カテゴリの最新記事