みちのくの山野草

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やはり心もとない「校本賢治年譜」

2024-01-06 12:00:00 | 独居自炊の光太郎
〈『高村光太郎山居七年』より(佐藤隆房著、(財)高村記念会)〉
 やはりこれもそうだったのかと、私はまたぞろがっくり。

 というのは、かなり以前のことだが、私は〝3289 高村光太郎宅訪問〟という投稿をしたことがあった。そして、その際に、
 したがって、はたして賢治が光太郎と相まみえたか否かは悩むところだ。とはいえ、これらの二つの証言がある以上、少なくともかつて巷間伝わっていた次のような「事実(手塚武の記憶)」はまずあり得ないであろう。
 …夕方になり、一緒にめしを喰おうと高村光太郎がさそいだし、三人は林町の家を出て坂を下り、池の端から上野駅近くまで歩き、当時まだ小さかった聚楽の二階の一部屋でいっぱいやりながら鍋をつついた。
             〈『新校本宮澤賢治全集第十六巻(下)・年譜編』(筑摩書房)330p〉
 そしてまた改めて悟った。あたかも実況中継をしているかのようなかくの如き文章に限って、それは事実からかえって遠いものである傾向があるということを、である。
という判断を私はしたのだが、この度、佐藤隆房著『高村光太郎山居七年』を読んで、この新校本年譜の記載はやはり心もとないと改めて私は思い知らされたからだ。
 では、そこにはどんなことが書かれていたかというと、佐藤隆房が高村光太郎に「賢治さんについてお伺いします」と言って切り出したならば、光太郎は、
「賢治さんにはただ一ぺん玄関で立話をしただけで、そのあともう一度訪ねてくるような話だったけど、とうとう来なかったので、生前の面会はただ一度です。今になってみると残念ですな。」           〈『高村光太郎山居七年』(佐藤隆房著、筑摩書房)92p〉
と答えたということが、であった。

 そしてまた、先の〝3289 高村光太郎宅訪問〟において投稿したように、直接高村光太郎から聞いたという小倉豊文の次のような証言がある。
 ところで高村さんは生前の賢治と会っていない。賢治が訪問したのは確かだが、その時に高村さんは留守だったというのが事実だ。これは高村さんからきいたことだから間違いないであろう。              〈『宮澤賢治聲聞縁覚録』(小倉豊文著、文泉堂出版)129p〉
 まさか光太郎と賢治が実は顔を合わせていなかったとはゆめゆめ私は思っていなかったが、歴史家であるという矜恃を常に持っていると私は思っている小倉がかくの如く言っているのだからその信頼度は高かろうとも思ったのだった。
 同時に思い出すのが、佐藤勝治が「光太郎と賢治―ある冬の日の会見―」で明かしている光太郎の次のような証言である。
 宮沢さんは、写真で見る通りのあの外套を着ていられたから、冬だったでしょう。夕方暗くなる頃突然訪ねて来られました。僕は何か手をはなせぬ仕事をしかけていたし、時刻が悪いものだから、明日の午後明るい中に来ていただくやうにお話したら、次にまた来るとそのまま帰って行かれました。…(投稿者略)…
 あの時、玄関口でちょっとお会ひしただけで、あと会えないでしまいました。また来られるといふので、心待ちに待つていたのですが…。口数のすくない方でしたが、意外な感がしたほど背が高く、がつしりしていて、とても元気でした。
            〈『みちのくサロン 創刊号 高村光太郎特集』(みちのく芸術社)41p~〉
 こちらの証言の方は、佐藤勝治が「光太郎から直接聞いて手帖に書き止(ママ)めておいたものである」と同書に書いてある。佐藤勝治といえば、昭和20年8月10日の花巻大空襲で焼け出されてしまった光太郎に太田村山口への転住を勧めるなどした人だということだから、この証言にも重いものがある。
 したがって、はたして賢治が光太郎と相まみえたか否は悩むところだ。
 
 つまりどういうことかというと、この度の『高村光太郎山居七年』によって、新校本年譜における先の「事実(手塚武の記憶)」は限りなく嘘であるということが導かれたということである。
 言い換えれば、光太郎が面と向かったのは、
 賢治さんにはただ一ぺん玄関で立話をしただけで、そのあともう一度訪ねてくるような話だったけど、とうとう来なかったので、生前の面会はただ一度です。
と判断して間違いないということだ。

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