みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

封印詩稿「野の師父」等の何故

2017年03月18日 | 賢治作品について
 さて、賢治は何故
    『この篇みな/疲労時及病中の心ここになき手記なり/発表すべからず
ということでいくつかの詩篇を封印したのだろうか、ということを私は疑問に思ってここまで少しく調べてきた。
 当初は、封印された「10番稿」とは〝農民に対する冷笑や己の慢〟が詠み込まれているものが主に該当しているのかなと思っていた。そして次に、「心ここになき」については、
    心ここになきはじめからおしまひまで病気(こころもからだも)みたいなもの
という近似式が成り立ちそうだということに気付いた。
 さらに、昭和2年の夏頃になると賢治は精神的に相当参っていたので、その程度が強く表れた詩篇も封印された傾向にあったとも私には思えた。

 そしてこれらのことを調べているうちに、「春と修羅 第三集」においては、〔あすこの田はねえ〕「野の師父」「和風は河谷いっぱいに吹く」が封印された理由としてはもっと大きな理由が他にもあるのではなかろうかと私は直感した。それは、以前にも掲げた下表

全体から受けたものだ。そこで冷静にこの表全体を俯瞰してみると、昭和2年の夏頃になると背景を水色にした詩篇、つまり賢治が封印した「10番稿」が多いことによって私はそう感じたのかなと思っている。

 次に、先に説明したようにこの上掲表は、
 それぞれの詩に詠み込まれている日付の気象現象が、同日誌に記載されている日付の天候と合っているか否かを調べてみる。そしてそれが合っていれば「適○、否×」欄に〝○印〟を、多少合っていれば〝△〟を、合っていなければ〝×印〟を、それら以外のはっきりしない場合等については〝?〟をつけて一覧表にしたのがこの表である。
 そしてこの表を分析してみれば、
 「春と修羅 第三集」において気象に関しての虚構はあまりないと言えそうだ。……①
ということも先に分かったのだった。
 そこで私は逆に、備考欄に「×印」のある、
    1082 〔あすこの田はねえ〕    ⇒×二石五斗→三石二斗
    1020 野の師父           ⇒×二千の施肥
    1021 和風は河谷いっぱいに吹く⇒×稲は起きた(四石)
これらの3篇の詩が気になる。なぜならば、先の〝①〟から、このことを敷衍すれば「春と修羅 第三集」所収の69篇の詩にはあまり虚構がないと考えられるのだが、これらの3篇は反収石高等について数値の虚構があった可能性が高いという意味での「×印」だったからである。

 そこでまずは「野の師父」についてだが、その中身は、
一〇二〇   野の師父<*1>
   倒れた稲や萓穂の間
   白びかりする水をわたって
   この雷と雲とのなかに
   師父よあなたを訪ねて来れば
   あなたは椽に正しく座して
   空と原とのけはひをきいてゐられます
   日日に日の出と日の入に
   小山のやうに草を刈り
   冬も手織の麻を着て
   七十年が過ぎ去れば
   あなたのせなは松より円く
   あなたの指はかじかまり
   あなたの額は雨や日や
   あらゆる辛苦の図式を刻み
   あなたの瞳は洞よりうつろ
   この野とそらのあらゆる相は
   あなたのなかに複本をもち
   それらの変化の方向や
   その作物への影響は
   たとへば風のことばのやうに
   あなたののどにつぶやかれます
   しかもあなたのおももちの
   今日は何たる明るさでせう
   豊かな稔りを願へるままに
   二千の施肥の設計を終へ
   その稲いまやみな穂を抽いて
   花をも開くこの日ごろ
   四日つゞいた烈しい雨と
   今朝からのこの雷雨のために
   あちこち倒れもしましたが
   なほもし明日或は明后
   日をさへ見ればみな起きあがり
   恐らく所期の結果も得ます
   さうでなければ村々は
   今年もまた暗い冬を再び迎へるのです
   この雷と雨との音に
   物を云ふことの甲斐なさに
   わたくしは黙して立つばかり
   松や楊の林には
   幾すじ雲の尾がなびき
   幾層のつゝみの水は
   灰いろをしてあふれてゐます
   しかもあなたのおももちの
   その不安ない明るさは
   一昨年の夏ひでりのそらを
   見上げたあなたのけはひもなく
   わたしはいま自信に満ちて
   ふたゝび村をめぐらうとします
   わたくしが去らうとして
   一瞬あなたの額の上に
   不定な雲がうかび出て
   ふたゝび明るく晴れるのは
   それが何かを推せんとして
   恐らく百の種類を数へ
   思ひを尽してつひに知り得ぬものではありますが
   師父よもしもやそのことが
   口耳の学をわづかに修め
   鳥のごとくに軽佻な
   わたくしに関することでありますならば
   師父よあなたの目力をつくし
   あなたの聴力のかぎりをもって
   わたくしのまなこを正視し
   わたくしの呼吸をお聞き下さい
   古い白麻の洋服を着て
   やぶけた絹張の洋傘はもちながら
   尚わたくしは
   諸仏菩薩の護念によって
   あなたが朝ごと誦せられる
   かの法華経の寿量の品を
   命をもって守らうとするものであります
   それでは師父よ
   何たる天鼓の轟きでせう
   何たる光の浄化でせう
   わたくしは黙して
   あなたに別の礼をばします
            <『校本宮澤賢治全集第四巻』(筑摩書房)>
というものであり、『新校本年譜』はこの詩を詠んだ時期を〝八月中旬〔推定〕〟<*2>としている。
 一方、昭和2年7月~8月の花巻の気象は盛岡地方気象台のデータと『阿部晁の家政日誌』等によれば

であったと判断できるから、この詩に次のように詠まれている
   花をも開くこの日ごろ
   四日つゞいた烈しい雨と
   今朝からのこの雷雨のために
   あちこち倒れもしましたが
が事実であったとすれば、その詠んだ時期を〝八月中旬〔推定〕〈野の師父〉〟と推定することには無理がある。というよりは、上掲表に従う限り、「四日つゞいた烈しい雨」はその頃に降っていなかったと判断せざるを得ないから、この詩は気象に関しては事実を詠んでいる訳ではなさそうで、この「野の師父」には虚構が含まれている蓋然性が高い。つまり、一般には気象に関しては「第三集」では虚構をしていないはずの賢治だが、その中では珍しくそのような虚構をしていた可能性の高い詩篇である。

 ところで、巷間
    昭和2年、賢治の肥料設計書は2,000枚を超えた。……②
と言われているが、その客観的な根拠を私は探し続けていたのだが見つけられずにいた。それが、この詩の中に、
     しかもあなたのおももちの
     今日は何たる明るさでせう
     豊かな稔りを願へるままに
     二千の施肥の設計を終へ

という連があったので、私はやっと「二千の施肥の設計を終へ」を見つけ出し、しかも先ほど述べたように「八月中旬〔推定〕<一〇二〇 野の師父>」ということだから、この詩が巷間言われている〝②〟の根拠(かなり心許ないそれではあったが)かなとひとまず安堵した。そして、よくぞこれだけの短期間で〝2,000枚〟もの肥料設計書を作成したものよと感心し、さぞかし賢治は献身的に取り組んだのだろうと、私は自分を納得させたつもりであった。
 ところがそれも束の間、「旧校本年譜」の責任者である当の堀尾青史自身が、この〝②〟に関して、
 二千枚を超えたかもしれませんが、よくわかりません。田圃一枚ずつ作っていくのだったらそうなるかもしれません。これも正確にしにくいので迷った末、やめました。
              <『國文学 宮沢賢治』(昭和53年2月号、學灯社)より>
と境忠一のインタビューに答えていることを知ってがっくりしたのだった。こう堀尾が答えている以上は、この〝2,000枚〟が真実かはどうかは定かでないということになるからである。

 そこで私が言いたいことは何かというと、賢治がこの「野の師父」を封印した理由は、もちろんこの詩の内容から言って「冷笑や慢」がその理由だったということはあまり考えられないから、その理由は気象に関する虚構のみならず数値の水増しという虚構もしてしまったという、あざとさを後に恥じたせいであった蓋然性が高いということである。別の見方をすれば、天沢氏が指摘する<*1>ところの「単純な実生活還元をゆるさない、屹立した〝心象スケッチ〟である」の典型の一つが「野の師父」だったということにもなりそうだ。 
 そして同時に、残りの〔あすこの田はねえ〕と「和風は河谷いっぱいに吹く」も似たようなな理由で封印されたのではなかろうかということである。ちなみに、以前〝「稲作挿話」と非可逆性〟と〝「和風は河谷いっぱいに吹く」と非可逆性〟で論じたように、「稲作挿話」と「和風は河谷いっぱいに吹く」は共に非可逆性が強い、つまり容易には還元できない虚構があり、しかもそれは客観的な数値等の虚構であったから、賢治はそのことを後に慚愧して封印しようと思ったに違いないと私は確信するようになった。そして、「稲作挿話」は〔あすこの田はねえ〕の外部への発表形でもあり、〔あすこの田はねえ〕も併せて封印したのではなかろうか。

 恥ずかしながら私は多少俳句を嗜む。しかも、俳句を詠む時はかなり虚構を詠み込んでいる。もちろん、もともと詩においては虚構は付きものだからその躊躇いは殆どない。だがしかし、あるいはそれ故に、ある俳句に対して上手いなと思って感心することはあっても、殆どの俳句に対して感動することはあまりない。
 一方、賢治の詠んだ詩に虚構があることは当然のことである。しかしながら、かつての私が〔あすこの田はねえ〕「野の師父」「和風は河谷いっぱいに吹く」「稲作挿話」に感動していたのは、そこに客観的な反当収量や、一度倒れた稲が元に戻ったという事実が詠まれていると思ったからこそ感動していたのであって、実はそれらが虚構であったとなれば、しかもその虚構にあざとさが感じられてしまうと、私はたといその詩に上手いなと感心することはあっても感動することはもはやない。
 それは私は痩せても枯れてもサイエンティストの端くれだという自負があるからだと思う。つまり、いくら詩の世界といえども、客観的なデータや事実を偽ってまでして感動を増そうとするようなあざといやり方はしたくないからである。
 
 そこで思い出すことは、賢治が草野心平に対して
と言っていることだ。
 つまり、賢治がこれらの詩篇を「10番稿」として封印した大きな理由として、詩に虚構は付きものだから何らそのことを誰からも責められないのだが、賢治は客観的な事実やデータを「昭和2年の夏」以前までは虚構を殆どしていなかったのに、それ以降、ついつい数値の水増しや事実を偽って感動が増すような詩篇、「稲作挿話」「野の師父」「和風は河谷いっぱいに吹く」等を詠んだことを「一個のサイエンティスト」でもあった賢治は後に悔い、あざとかった己に慚愧に堪えなくなって先の「これらの3篇」を封印していた可能性も生じてきた。
 そして賢治がそのような思いに至った心境は、私もサイエンティストの端くれとして数値を、それもあざとい数値の改竄はだけはしたくないし、もしそのようなことをしたとすれば良心の呵責に耐えられないであろうことから、容易に察しが付く。

 どうやら、現「第三集」における賢治が封印した「10番稿」とは、「冷笑と慢」のみならず、精神的に相当参っていてその程度が強く表れた詩篇もそうだったと言えそうだ。さらに、数値の水増しや事実を偽ってのあざとさを「一個のサイエンティスト」であるも賢治が後にそこに再発見した詩篇なども「10番稿」に収められたと言えそうだ。そして、客観的な事実をねじ曲げたことについて慚愧に堪えなくなって「発表すべからず」と力紙に書き記していたのだということに、私は少しずつ確信が増してきた。
 つまり、
 賢治が何故
    『この篇みな/疲労時及病中の心ここになき手記なり/発表すべからず
と力紙に書いて現「春と修羅 第三集」の69篇中、21篇もの詩稿を封印したのかというと、「農民に対する冷笑や己の慢」が詠み込まれている詩篇のみならず、「一個のサイエンティスト」の矜恃を自己否定している詩篇を後に恥じて封印したのだ。
と私は現時点では判断している。そして賢治が何故このような封印した詩篇を詠んだのかというと、それは「羅須地人協会時代」は「疲労時及病中」だったので、「心ここになき手記」になったのだったと、「一個のサイエンティスト」でもあった賢治は自省していたに違いない。

 そして一方で、賢治のこのような指示あるいは「遺志」に反して、賢治が封印したはずの「10番稿」は公に晒されてしまったということになりそうだ。

<*1:投稿者註> 天沢退二郎氏は、
 しかし「野の師父」はさらなる改稿を受けるにつれて、茫然とした空虚な表情へとうつろいを見せ、「和風は……」の下書稿はまだ七月の、台風襲来以前の段階で発想されており、最終形と同日付の「〔もはたらくな〕」は、ごらんの通り、失意の暗い怒りの詩である。これら、一見リアルな、生活体験に発想したと見られる詩篇もまた、単純な実生活還元をゆるさない、屹立した〝心象スケッチ〟であることがわかる。
            <『新編宮沢賢治詩集』(天沢退二郎編、新潮文庫)414pより>
と冷静に見極めており、私はこのことは常に留意せねばならないと、全くそのとおりだと思っている。
<*2:投稿者註> 境忠一は、
 (「稲作挿話(未定稿)」は賢治)の稲作指導の典型をなす作品であるといえる。「開墾」(昭2・3・27)「野の師父」(昭2・3・28)<*2>を経て、賢治の農村活動が稲作指導をとおして、ひとつの頂点を迎えたことを示している。
              <『評伝 宮澤賢治』(境忠一著、桜楓社)293pより>
と述べていて、はっきりとその日付を「昭和2年3月28日」と断定している。境のことだからそれなりの根拠があるとは思うのだが一体それは何であったのだろうか。またそもそも、この内容から言って、この詩に詠まれた光景は「昭和2年3月28日」のものではないことは明らか。

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