《三輪の白い片栗(種山高原、令和3年4月27日撮影)》
白い片栗はまるで、賢治、露、そして岩田純蔵先生の三人に見えた。
そして、「曲学阿世の徒にだけはなるな」と檄を飛ばされた気がした。
白い片栗はまるで、賢治、露、そして岩田純蔵先生の三人に見えた。
そして、「曲学阿世の徒にだけはなるな」と檄を飛ばされた気がした。
さて、前回最後に米村氏の次のような見方、
しかし、賢治像構築のプロセスで、賢治への想像ばかりが先行していたまさにそのとき、賢治に関する具体的な情報が公にされた。それが「雨ニモマケズ」 だった。…投稿者略…
こんなわけで、この詩は、それまで曖昧だった賢治伝の空白を埋めるものとして、歪んだ受け止められ方をしたと考えられる。
〈『宮沢賢治を創った男たち』(米村みゆき著、青弓社)210p~〉こんなわけで、この詩は、それまで曖昧だった賢治伝の空白を埋めるものとして、歪んだ受け止められ方をしたと考えられる。
を紹介させてもらった。そして、私は目から鱗が落ち、な~るほど、と膝を叩いたのだった。
そして次に、『宮澤賢治追悼』を読み直してみて、あらためて、松田甚次郞の追悼集『追悼 義農松田甚次郎先生』との違いを痛感した。後者からは、如何に松田甚次郞が多くの人たちから、特に若い農民から、尊敬され思慕されていたかが分かるが、前者ではそこまでは感じられないからである。ちなみに、
【『宮澤賢治追悼』の目次】
〈『宮澤賢治追悼』(草野心平編、次郎社)〉
から容易に分かるように、追悼を寄せた人物の中にそのような若い農民は菊池信一しか見つからない。そして、寄稿者は32名いるが、最初の宮澤清六~森惣一の9名は地元岩手県関係の人たちだが、それ以降の高村光太郎~草野心平までの23名中黄瀛を除いては、この時点では、「賢治を知らず」の人たちばかりである。すなわち、「賢治や賢治作品を熟知する者は」いなかった。おのずから、『追悼 義農松田甚次郎先生』はまさに追悼集であり、故人の死を悲しみ、感謝の気持ちが溢れているが、その多くは生前賢治とそれほど懇意でなかった「賢治を知らず」の人たちが寄せた『賢治追悼』からはそこまでは感じられない。どうも、追悼集らしさに欠ける。逆に言えば、この追悼集に寄稿した「賢治を知らず」の人たちは、案外後ろめたさがあったのではないだろうか。
一方、米村氏はこうも言う。
多くの者は賢治の具体的な情報について、白紙に近い状態だった。そのため「雨ニモマケズ」は賢治の生涯を知るための手がかりとして人々に受け入れられた。これが私の持論だ。
〈〃212p〉私は再び、な~るほど、とうなった。それは、この「賢治を知らず」の人たちは一流の詩人や哲学者、そして学者などであり、作品を安易に現実には還元できないことを知らないはずがないから、『宮澤賢治追悼』にあのような寄稿をしたことに忸怩たる思いがあったに違いなく、それをこの「雨ニモマケズ」によって解消できたに違いないと。つまり、賢治は「雨ニモマケズ」のように生きたのだとこの人たちは思い始めたに違いない(しかしである、後述するが、賢治がそのように生きたということの保証はほぼない)。
さらに、米村氏は具体的にいくつかの例、
たとえば、草野心平は、「天才詩人」 賢治について「どういふ人物でどんな生涯をおくつた人か、というふことは未だ一般的には知られてゐない。そのことに就いて少し述べてみたいと思う」という前置きで、発言以後の時期、賢治についての関心は、生き方へとその照準が移っていくようと(ママ)思われるからだ。賢治の作品にまつわる不思議な魅力の秘密が「雨ニモマケズ」で解けたというのは谷川徹三。賢治の本質は、詩人と賢者であり、「ヒデリノトキハナミダヲナガシ、サムサノナツハオロオロアルキ、ミンナニデクナボウトヨバレ」ることに自ら安んじている賢者だという。石塚友二は、「宮沢賢治を語る最も端的な例として多くの宮沢論者に取り上げられた彼の手記」として「雨ニモマケズ」をとりあげる。戦時中、賢治を「賢治菩薩」と拝んでいたという小倉豊文は、次のように述べていた。
〈〃212p〉 「宮沢賢治つてどんな人ですか」
私はよくかうした質問を受ける。その度に私はきまつて「雨ニモマケズ」の全体を示すのを常としてゐる。
さうして言ふ。
「サウイフモノニ私ハナリタイ」とあるが實はかうした生活を実践した人ですよ。
私はよくかうした質問を受ける。その度に私はきまつて「雨ニモマケズ」の全体を示すのを常としてゐる。
さうして言ふ。
「サウイフモノニ私ハナリタイ」とあるが實はかうした生活を実践した人ですよ。
を挙げていた。
そこで私は、このような〝「多くの者」たち〟に改めてがっかりする。「雨ニモマケズ」の「雨ニモマケズ……サムサノナツハオロオロアルキ」の詩句をそのまま事実であったと安易に還元していいのですか、と。とりわけ、「雨ニモマケズ手帳」研究の第一人者の小倉だから分からぬ訳でもないが、小倉までもがこう言っていることにがっかりしてしまう。歴史学者の小倉にはせめてそのことを実証してほしかった。少なくとも私が実証的に検証した限りでは、賢治は「雨ニモマケズ……サムサノナツハオロオロアルキ」などしていなかった<*1>からだ。またそもそも、そこまでせずとも、
「サウイフモノニ私ハナリタイ」と賢治は言っているわけだから、「雨ニモマケズ……サムサノナツハオロオロアルキ」はできなかったが、そうありたいと願ったこれは賢治の理想であった。
ということは、門外漢で凡人の私にはいともたやすく納得できるのに。言い換えれば、 「雨ニモマケズ」の附会が彼らにはある。
と私は言いたい。<*1:投稿者註> このことに関しては、拙著『本統の賢治と本当の露』を、特に「第一章 本統の宮澤賢治」を読んでいただけば賛同してもらえるものと思っております。
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