みちのくの山野草

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「粗雑な推定」とは

2019-07-09 10:00:00 | 濡れ衣を着せられた高瀬露
〈「白花露草」(平成28年8月24日撮影、下根子桜)

「粗雑な推定」とは
 一週間後三人はまた集まった。
鈴木 知ってのとおり、昭和42年に生活文化社から最初の『雨ニモマケズ手帳』の複製版が出たわけだが、その解説書『宮沢賢治『手帳』解説』において、
 拙著研究では、この詩のテーマになっていると思われる一人の女性について粗雑な推定を敢えてした。しかしその後思うところあり、右の推定は取消(ママ)にする
              <『宮沢賢治『手帳』解説』(小倉豊文著、生活文化社)39頁より>
と小倉は妙なことを述べていた。
荒木 俺も『「雨ニモマケズ手帳」新考』を調べていたら、やはりそれと似たような内容の、
 私は本書初版で森・関両氏の著によって以上の件の大略をこの詩のテーマと推考して述べたが、私の行文が不備だった為に高橋氏から批難を受けたので、その後手帳複製版解説では一応全面的に取消した。
              <『「雨ニモマケズ手帳」新考』(小倉豊文著、東京創元社)115pより>
が気になった。
吉田 やはりな、僕もそうだった。
鈴木 それでは先ず
    「拙著研究」=『宮澤賢治の手帳 研究』
ということは決まりでいいだろ。そして、おそらく次のような顚末だったということになろう。
(a) 小倉は最初に出版した『宮澤賢治の手帳 研究』において、「森・関両氏の著によって以上の件の大略をこの詩のテーマと推考して述べた」。
(b) ところが、この「大略」は「行文が不備だった為」に高橋慶吾から強く批難された。
(c) そこで、次に出版した『宮沢賢治『手帳』解説』において、先の「大略」では「一人の女性について粗雑な推定を敢えてした」ということを公に認め、かつその「粗雑な推定」を「取消し」た。
荒木 そこまでは納得。ただし「取消し」たというところのその中身そのもの、つまり「粗雑な推定」が見えない。
鈴木 それなんだが、私にもこの先がよく見えてこない。ただわかることは、小倉は『宮澤賢治の手帳 研究』の中で、例の詩〔聖女のさましてちかづけるもの〕をまず取り上げ、「この詩を讀むと、すぐに私はある一人の女性のことが想い出される」と前置きして、続けてそれこそ「大略」を述べてはいるのだが、そのうちのどの部分が「粗雑な推定」に相当するのかわからんのだ。ほらこれが小倉が言っているところのその「大略」だからよく見てくれ。
荒木 どれどれちょっと読ませてくれ。……いやあ、これじゃちょっとやそっとのことではどれが「粗雑な推定」なのかわからんべ。
吉田 そこでだ、実は僕は今回その分析をしてみたからこのプリントを見てくれ。



荒木 それで、この傍線部の意味と違いは何だ?
吉田 それは、僕が分析してみようと思って勝手に付け足したもので、もちろん原典には何も付いていない。
 具体的には、小倉が述べているように、
    森・関両氏の著によって以上の件の大略をこの詩のテーマと推考して
ということだから、小倉が引用したであろうと思われる個所にそれぞれ次のように出典の違いによって、
    ・『宮澤賢治と三人の女性』からの引用には〝波線の傍線〟
    ・森と関の両著から引用した箇所には〝破線の傍線〟
を付けてみた。なお、関の『宮澤賢治素描』が単独で引用されている個所はないということもこれで判った。
鈴木 するとそのことからは逆に、関の『宮澤賢治素描』(協榮出版)の出版は昭和18年で、森の『宮澤賢治と三人の女性』(人文書房)の出版が昭和24年ということも併せて考えれば、『宮澤賢治素描』に出てきている証言等の多くが『宮澤賢治と三人の女性』において引用されている、ということになりそうだね。
吉田 そう、確かにそうだった。
 それでは小倉自身が「粗雑な推定を敢えてした」と言っている部分はどこか。それはもちろん、少なくとも傍線〝波線〟や〝破線〟が付かなかった残りの部分にあることになる。そこで次に、残りの部分の中で僕からすれば「粗雑」と見える個所に〝二重線の傍線〟と番号をそれぞれ付け足してみた。そのようなものが<①>~<⑦>の計7個所ある。
 まず驚くのが傍線部<⑦>だ。「外面菩薩内面如夜叉」という痛烈で辛辣な言葉を用い、しかもこれは前段の推定「この事件は、……賢治について悪口をいろいろ觸れ廻つたらしい」に対しての小倉自身の評価に過ぎないわけだから、そのことをこのようにを活字にしてしまったならば、『小倉豊文は高瀬露に対しては研究者としての立場を逸脱している』等と誹りを受けてしまうのではなかろうかということを、僕はついつい危惧してしまう。
鈴木 そうか、やっと私にも少しずつ見えた来たぞ。となれば、露を『最初に先生のところへ連れて行つたのが私であり、自分も充分に責任を感じてゐるのですが』(『イーハトーヴォ(第一期)創刊号』)と語っている高橋慶吾からすれば当然不満を抱くこともあろう。とりわけ、「粗雑」すぎるこの<⑦>については慶吾から批難される可能性が極めて大だろう。
 そして一方、それほど極端ではないにしても、森・関の両著に述べられていないことでなおかつ「粗雑」と思われる個所としての <①>~<⑥>には小倉豊文らしからぬ表現がある。特に、「ヒステリック」とか「咆哮」とか「狂想曲」という表現は森も関も自身の著作ではしていないはずで、これは小倉独自のものと考えられるから、慶吾のみならず私だっておかしいと思う。
吉田 そうなんだ。小倉は研究に対してはいつも厳しい態度で臨む人だった(註十四)から、かなりの程度検証した上で論じているだろうと思っていただけに、この論考における「敢えてした」とまで嘯く小倉の姿勢は僕にとっても極めて意外だ。
荒木 となれば、小倉が「乃至兩氏の實話」とも言っているのだから、これらの<①>~<⑦>も森や関から直接聞いたとでもいうのだべが。
吉田 それはあり得るが、もしそうであったとしても、<②>~<⑦>は皆「粗雑な断定」でこそあれ「粗雑な推定」ではないから、小倉の「粗雑な推定を敢えてした」という言に従えば、その候補は唯一<①>しかない。したがって、当然それはどう転んでも当選するので、「敢えてした」という粗雑な推定は<①>でしかない。
鈴木 あっそうか、候補者は一人だから無投票で当選するんだ。
荒木 なあるほど。かといって、<①>であったならば取りたてて慶吾が批難するほどのものでもなけれな、批難されて「取消し」をするほどのことでもなかろう。取消すのであれば、それよりもはるかに<②>~<⑦>の方だろう。
 もちろん、そうなるとこれらは「粗雑な断定」だから小倉の言っていることとは矛盾するけどもな。それにしても、「協奏曲」ならぬ「狂想曲」には流石の俺も負けてしまった。
吉田 ある面では、森や儀府のゴシップ記事のような扱いにも辟易とするが、この小倉の「粗雑な推定と断定」にもそれと似たところがないわけでもなく、驚きを隠せない。
鈴木 そうだよ。まさかあの小倉が、自分の著書の中で「更に想像をたくましくすれば……彼女の關心は賢治の仕事よりも賢治その人にあつたのであるかも知れない」などということを活字にしていたとはな。吃驚だし残念だ。
吉田 そうなんだよ、あの小倉があろうことか、「更に想像をたくましくすれば」というレベルのことを自分の研究書の中で活字にしているんだぜ。
荒木 そうだよ、これじゃ単なるゴシップ記事みたいなもんだべ。どうやらこのことに関しては、小倉はかなり冷静さを失っていたようだ。こうなってしまうと、〈「押しかけ女房」的な痴態にも及んだ「悪女」〉はさておき、少なくとも小倉が活字にした「露の強引な単独訪問はその後も続いた」や「露は賢治を悪しざまに告げ口した」は、果たして事実だったかどうかはかなり危ういな。
鈴木 そうだな。慶吾から批難されて、その後、「手帳複製版解説では一応全面的に取消した」ということでもあるしな。
吉田 しかしあの小倉が、よりによって自嘲的な「粗雑な推定」という表現をし、続いて次に今度は一転して「敢えて」というような開き直りともとれる表現をし、しかも実際に「取消し」たというわけだ。となれば、「一応」と書き添えてはいるものの、小倉はさぞかし屈辱と悔しさとで一杯であっただろうな。

(註十四) 例えば、「賢治像・賢治作品の評価をたどる」という座談会において、次のようなやりとりがあったという。
司会 堀尾さんの他には、戦争中から宮沢家を訪れていた小倉豊文さんが非常に実証的な取り組みをなされていますね。
続橋 小倉豊文さんは「農民は口を開かないんだ。親しくなって農民に口を開かせてみろ。宮沢がどんなに恨まれているか」というのを口を酸っぱくして小倉豊文さん話をしていた。そこまで調べないとだめだ、と。
             <『賢治研究 70』(宮沢賢治研究会)175pより>

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 賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』

             〈平成30年6月231日付『岩手日報』一面〉
を先頃出版いたしましたのでご案内申し上げます。
 その約一ヶ月後に、著者の実名「鈴木守」が使われている、個人攻撃ともとれそうな内容の「賢治学会代表理事名の文書」が全学会員に送付されました
 そこで、本当の賢治が明らかにされてしまったので賢治学会は困ってしまい、慌ててこのようなことをしたのではないか、と今話題になっている本です。
 現在、岩手県内の書店での店頭販売やアマゾン等でネット販売がなされおりますのでどうぞお買い求め下さい。
 あるいは、葉書か電話にて、『本統の賢治と本当の露』を入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金分として1,620円(本体価格1,500円+税120円、送料無料)分の郵便切手をお送り下さい。
      〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
               電話 0198-24-9813

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