みちのくの山野草

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寿命の違いに込められた意味

2018-07-02 10:00:00 | 法華経と賢治
《『100分de名著『法華経』』(植木雅俊著、NHK出版)の表紙》

 では今度は第九章「授学無学人記品」についてである。
 植木氏によれば、
 「無学」という言葉は…(投稿者略)…仏教においては「もはや学ぶことがなくなった人」、すなわち小乗仏教の修行完成者を意味します。逆に「有学」は「まだ学ぶべきことがある人」のことです。
 有学と無学の二千人に先立ち、まず阿難へ授記が行われます。…(投稿者略)…
 次に釈尊の実子・羅睺羅、その他の有学・無学の二千人に授記がなされ、これですべての声聞に対する受記が終わります。
 …(投稿者略)…「如来<*1>の寿命」に注目してみましょう。智慧第一の舎利弗は十二中劫です。解空第一の須菩提ほか四大声聞も、十二中劫ないし二十四中劫。彼らが持つ才能は、言ってみれば個人レベルの才能で、自利、つまり自分のためのものです。
 それに対し、富楼那は説法第一で人々に語って聞かせる。阿難は多聞第一で…(投稿者略)…人々に教えを伝える役目を果たしている。つまり、この二人の才能は利他、人のためのものです。そして、この二人には、舎利弗らとは比べもににならないくらいの長い寿命が与えられています。
             〈『100分de名著『法華経』』(植木雅俊著、NHK出版)57p~〉
ということである。
 さて、富楼那や阿難は利他であるから、自利の舎利弗や須菩提と比べて評価されることは解らないわけでもない。が、その違いによって「比べもににならないくらいの長い寿命が与えられています」ということには、私は抵抗感がある。メンタルな違いが「寿命」という実利的なものによって即物的に、かつ極端な差が付けられて測られていると見えてしまったからだ。

<*1:投稿者註> 広辞苑によれば、
【如来】
仏十号の一。仏の尊称。「かくの如く行ける人」、すなわち、修行を完成し、悟りを開いた人の意。のちに、「かくの如く来れる人」、すなわち、真理の世界から衆生救済のために迷界に来た人と解し、如来と訳す。
           〈『電子辞書PW-M800』(シャープ)所収の広辞苑より〉

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               電話 0198-24-9813

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