みちのくの山野草

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本日の下根子桜(12/15、粉雪舞う)44

2020-12-15 18:00:00 | 下根子桜八景
 今朝の花巻では粉雪が舞っていたので、下根子桜をちょっと訪れてみたくなった。
《1 》(2020年12月15日撮影)

《2 》(2020年12月15日撮影)

《3 》(2020年12月15日撮影)

《4 》(2020年12月15日撮影)

《5 》(2020年12月15日撮影)

《6 》(2020年12月15日撮影)

《7 》(2020年12月15日撮影)

《8 》(2020年12月15日撮影)


 ところで、今から94年前の今日明日、当時の岩手はどんな惨状にあったか。当該日の『岩手日報』の報道の中には次のような記事があった。
【Fig.1 大正15年12月15日付 岩手日報】

  赤石村民に同情集まる 東京の小学生からやさしい寄附
(日詰)本年未曾有の旱害に遭遇した紫波郡赤石村地方の農民は日を経るに随ひ生活のどん底におちいつてゐるがその後各地方からぞくぞく同情あつまり世の情に罹災者はいづれも感涙してゐる数日前東京浅草区森下町済美小学校高等二年生高井政五郎(一四)君から河村赤石小学校長宛一通の書面が到達した文面に依ると
わたし達のお友だちが今年お米が取れぬのでこまってゐることをお母から聞きました、わたし達の学校で今度修学旅行をするのでしたがわたしは行けなかったので、お小使の内から僅か三円だけお送り致します、不幸な人々のため、少しでも為になつたらわたしの幸福です
と涙ぐましいほど真心をこめた手紙だった。十二日黒沢尻中学校職員一同から十四円の寄?贈あつたし同校教諭富沢義?氏から手工を指導し、製品の販路はこちらで斡旋するから指導に行つてもよい日時を教えてくれいとこれ又書簡で問ひ合せて来た。
 この記事からは、この年の岩手の、とりわけ明石村等の大干魃による農民の窮状は東京方面でも知られることとなり、その惨状を知って遠く東京の小学生でさえも救援の手を差し伸べてきたと言えるだろう。
 もちろんその当時、賢治は12月始めから滞京していたわけだが、「本統の百姓になります」と言っていた賢治なわけだから、この小学生の健気な善行は賢治の許には届いていなかったにしても、岩手の「未曾有の旱害」によるこの時の惨状を知らなかったはずがない。
 一方、地元でもその義捐の輪は広がっていたことは例えば次の報道、
【Fig.2 大正15年12月16日付 岩手日報】

  赤石村に同情
かねて労農党盛岡支部その他県下無産者団体が主催となつて紫波郡赤石村の惨状義えん金を街頭に立ちひろく同情を募つてゐたが第一回の締めきり日たる十五日には十二円八十銭に達したが都合に依つて二十二日まで延期し纏めた上二十五日慰問のため出発し悲惨な村民を慰めることなつた。
       ×
紫波郡ひこ部村第二消防組ではりん村赤石村のかん害惨状に深く同情した結果上等の藁三千束を赤石村共同製作所に販売しそのあががり高を全部、赤石小学校児童に寄附することとなつて十五日午前九時馬車にて藁運搬をなすところがあつた。
からも知ることができる。そして、松田甚次郎はまさにこの新聞報道を、さらにそれに続く次のような報道、
【Fig.3 大正15年12月22日付 岩手日報】

  米の御飯を くはぬ赤石の小学生 大根めしをとる 哀れな人たち
(日詰)岩手合同労働組合吉田耕三岩手学生会佐々木猛夫両氏は二十一日紫波郡赤石村かん害罹災者慰問のため同地に出張したが、その要領左の如し
 一、役場
(イ)植付け反別は四百一反歩でかん害総面積は三百十五町歩、その中収穫なき反別は五十町歩に及び
(ロ)被害戸数は百六十戸である(同村の総戸数は五百二十五戸であるから同村三分の一は米一粒も取らなかつたといふ事が出来る)このうち小作人の戸数は六十戸である。
(ハ)大豆は半作でその他の陸物収穫あったけれども一家の口を糊するにたらず
(ニ)同村の平年作は一万四千二百九十四石であるが今年度は八千百八十石減を見た。毎年七千石の移出米を出す処であるから村で食ふだけの米がないといふ事が出来る。以上の如くして六十戸の小作人は非常に苦しい生活を続けて居る。今度応急の救済方法として製筵機五十台をすえつけ生産に当たらしめてゐるのが一日の同収入僅かに三十銭に充たざるを以て衣食を凌ぐにたらず
 二、学校
全然昼飯を持参せざる者二三日前の調査よれば二十四人に及びその内三人は昼飯を持参されぬ事を申出でゝ役場の救済をあふいでゐる(外米三升をもらつた)又学用品を給与した者は十六人であるが、昼飯の内に麦粟をまじへてゐるもの殆ど三割をしめてゐる
 罹災者二戸に就いて調べた処に依れば今年田八反歩を仕つけたが収穫はたゞ三俵である。その内一俵を小作米としてをさめた、ほかはもう食い尽くした。収入の途は炭俵を作って売るも萱代縄代を差ひけば一つ三銭五厘位のものだから一日八ッを編んでも手に取る処幾ばくもない。しかも家族は七人ある。生活の惨憺たる事は想像以上である。他の一軒を見まはつたが同様全然収入なし、職業もないので炭俵を作って居た。シウトの家から縄をもらって居ると云ってゐたが、どんな御飯をくつて居るのかとのぞいて見たら大根六分砕けた米二分粟二分位なものであった。麦買ふ金もないのである。
 三、出稼
血気の若い衆は酒つくりに出稼ぎしたが、その送金を得ていくらか助かるのであらふが、これとても一月十円を送れば関の山で罹災者の窮状は日を追うて劇しくなるだらう。
を見て、居ても立っても居られなくなって、この直後の12月25日に南部せんべいを持って明石村を訪れて慰問したに違いない。
 それはあの甚次郞のことだ、この記事の中の「同村三分の一は米一粒も取れなかつた」という旱害被害の酷さに吃驚し、しかも、学校にお弁当を持って行けない多くの子どもがいたことをとりわけ不憫に思ってである。
 そんなことに想いを巡らしながら下根子桜を後にしようと思ったならば、
《9 雪をまとった大樹》(2020年12月15日撮影)

が目に入った。さてこの大樹、当時主不在の羅須地人協会の建物をどんな想いで見下ろしていたのだろうか。

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            〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
            ☎ 0198-24-9813
 なお、目次は次の通りです。

 そして、後書きである「おわりに」は下掲の通りです。



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