みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

下根子桜(6/29、散歩道)

2024-07-03 16:00:00 | 下根子桜八景
《1 「賢治文学散歩道」》(2024年6月29日撮影)

《2 「春」》(2024年6月29日撮影)


     春      一九二六、五、二、
   陽が照って鳥が啼き
   あちこちの楢の林も、
   けむるとき
   ぎちぎちと鳴る 汚ない掌を、
   おれはこれからもつことになる

《3 「あすこの田はねえ」》(2024年6月29日撮影)


 ところで、この石碑に刻された詩「あすこの田はねえ」の出典は何んであろうか。それを知るためにこの部分
《4 「三石二斗」》(2024年6月29日撮影)


を確認したので、『校本宮澤賢治全集第四巻』からだと判断してよさそうだ。ちなみに同巻では、
一〇八二  〔あすこの田はねえ〕    一九二七、七、一〇、
   あすこの田はねえ
   あの種類では窒素があんまり多過ぎるから
   もうきっぱりと灌水を切ってね
   三番除草はしないんだ
      ……一しんに畔を走つて来て
         青田のなかに汗拭くその子……
   燐酸がまだ残つてゐない?
   みんな使つた?
   それではもしもこの天候が
   これから五日続いたら
   あの枝垂れ葉をねえ
   斯ういふ風な枝垂れ葉をねえ
   むしってとってしまふんだ
       ……せわしくうなづき汗拭くその子
          冬講習に来たときは
          一年はたらいたあとゝは云へ
          まだかゞやかなりんごのわらひを持つてゐた
          今日はもう日と汗にやけ
          幾夜の不眠にやつれてゐる……
   それからいゝかい
   今月末にあの稲が
   君の胸より延びたらねえ
   ちようどシヤツの上のぼたんを定規にしてねえ
   葉尖をとつてしまふんだ
         ……汗だけでない
            涙も拭いてゐるんだな……
   君が自分で設計した
   あの田もすつかり見て来たよ
   陸羽百三十二号のはうね
   あれはずゐぶん上手に行つた
   肥えも少しもむらがないし
   いかにも強く育つてゐる
   硫安だつてきみが自分で播いたらう
   みんながいろいろ云ふだらうが
   あつちは少しも心配ない
    反当三石二斗なら
    もう決まつたと云つていゝ
      …投稿者略…

              <『校本宮澤賢治全集第四巻』(筑摩書房)より>

となっているが、他の場合にはこの反当石高についてはその値が違っているからだ。なお、この件についてはかつての投稿〝7月に詠んだ詩〔あすこの田はねえ〕〟もご覧いただきたい。

《5 「饗宴」》(2024年6月29日撮影)


    饗宴
   酸っぱい胡瓜をぽくぽく噛んで
   みんなは酒を飲んでゐる
   みんなは地主や賦役に出ない人たちから
   集めた酒を飲んでゐる
    ……われにもあらず
      ぼんやり稲の種類を云ふ
      こゝは天山北路であるか……
   さっき十ぺん
   あの赤砂利をかつがせられた
   顔のむくんだ弱さうな子が
   みんなのうしろの板の間で
   座って素麺をたべてゐる
     (紫雲英植れば米とれるてが
      藁ばりとったて間に合ぁなじゃ)
   こどもはむぎを食ふのをやめて
   ちらっとこっちをぬすみみる

 賢治が下根子桜で自活するということはその下根子桜の一員となることでもある。すると、どこでも行われていたように、桜でも各戸には年に何回かの賦役が課されただろうから、賢治も桜の一員として当然その賦役が生じる。
 そのような賦役、大正15年9月3日の土橋(弥助橋)の架け替え工事に賢治も駆り出された。勢い込んで下根子桜に移り住んでそこに居を定めたわけだが、その意気込みとは別にそこでの現実に戸惑う賢治の心の内がこの詩から透けて見えてくる。それはこゝは「天山北路であるか」と詠んでいることから推し量れる。
 土橋の架け替え工事は午前中に終わってしまい、その後は慰労を兼ねて皆で酒を酌み交わしたりしながら歓談している。ところが新参の賢治はその場になじめないでいるというわけである。それは賢治が新参者ということからだけではなく、賢治自身の覚悟と決意に因るところもあったのかもしれない。

 「本統の百姓」になると公言して桜に移り住んだのだから、このような場合にこそそこに住まう農民たちの懐に飛び込んでいって親交を深めれば、その足がかりを掴むことが出来るはず。もちろんそしてそれを慮って賢治は「稲の種類」などを話題にしようとしたのであろう。だがしかし、実際そうしてみたところで埋めがたい心の溝がそこはあったのであろう。百姓になろうと思ってはみたものの現実はそれほど生易しいものではなかったのだった、ということになりそうだ。
 そういえば、「農民」になると言っても良かったのにわざわざ「百姓」になると、しかも「本当の」ではなくて「本統の」と修辞しているところに賢治の気負いがあったということが感じられるし、そもそも無理があったようだとも私には思えてきた。

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 ある著名な賢治研究者が私(鈴木守)の研究に関して、私の性格がおかしい(偏屈という意味?)から、その研究結果を受け容れがたいと言っているという。まあ、人間的に至らない点が多々あるはずの私だからおかしいかも知れないが、研究内容やその結果と私の性格とは関係がないはずである。
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            〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守  ☎ 0198-24-9813
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