みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

私の一連の検証結果についての評価や反応(承前)

2022-11-13 12:00:00 | 賢治渉猟
《三輪の白い片栗》(種山高原、令和3年4月27日撮影)
 白い片栗はまるで、賢治、露、そして岩田純蔵先生の三人に見えた。
 そして、「曲学阿世の徒にだけはなるな」と檄を飛ばされた気がした。

 あるいは、〝㈤ 賢治の稲作指導法の限界と実態〟に関しては、拙ブログ『みちのくの山野草』の中で、ここ暫くコンスタントに閲覧数の最も多いのが、「稲の最適土壌は中性でも、ましてアルカリ性でもない」というタイトルの投稿である。
 ということは、このことに関しては、私の主張の中味の是非はさておき、多くの方々が興味・関心を、そして賢治の稲作指導に対する従来の評価に疑問を抱いているということを示唆していると判断出来る。言い方を換えれば、賢治の稲作指導法の実態等についての誤解が世間には少なからずある、ということをこの閲覧数の多さが示唆していそうだ。そしてまた、〝あれっ、知らないのは私たちだけ?〟という投稿でも言及したように、「稲の最適土壌は中性でも、ましてアルカリ性でもない」ということを知らないのは案外私たちだけかもしれない。それは、『農業科学博物館』の館員の方が、
   最近は、皆さん弱酸性~微酸性だということは知っておりますよ。
と仰っていたからだ。
 どうやら、賢治自身もそしてもちろん私たちも誤解をしており、賢治の稲作指導法にはもともと限界があって、その指導は当時の大半を占めていた貧しい農民たちのために貢献できたとは言い難いようだ。

 そして、〝㈥ 「下根子桜」撤退と「陸軍大演習」〟に関しては東北大学名誉教授大内秀明氏より、『宮沢賢治の「羅須地人協会」 賢治とモリスの館十周年を迎えて』において次のような評をいただいている。
 ところで賢治の「真実」ですが、『賢治と一緒に暮らした男』の第一作に続き、今回はサブタイトル「賢治昭和二年の上京」に関しての『羅須地人協会の真実』でした。と同時にブログでは、「昭和三年賢治自宅謹慎」についての「真実」を、同じような仮説を立てての綿密な実証の手法で明らかにされています。この手法は、幾何学の証明を見るように鮮やかな証明です。実を言いますと、「昭和二年の上京」よりも、「昭和三年賢治自宅謹慎」の方が、現在の問題関心からすると、より強く興味を惹かれるテーマです。このテーマに関しても、すでにブログで「結論」を出されていますし、その後に『羅須地人協会の終焉―その真実』として、先著の補巻のような形で刊行されました。鈴木さんの問題の提起は、「澤里武治宛の宮沢賢治書簡」(昭和三年九月二三日付)の文章にあります。「お手紙ありがたく拝見しました。八月十日から丁度四十日の間熱と汗に苦しみましたが、やっと昨日起きて湯にもはいり、すっかりすがすがしくなりました。六月中東京へ出て毎夜三四時間しか睡らず疲れたままで、七月畑に出たり村を歩いたり、だんだん無理が重なってこんなことになったのです。演習がおわるころはまた根子へ戻って今度は主に書く方へかかります。休み中二度お訪ね下すったそうでまことに済みません」ここに出てくる演習について、その意味を探って行きます。以下、簡単に紹介させて貰いましょう。

 「賢治年譜」によると、昭和三年八月のこととして、心身の疲労にも拘らず、気候不順による稲作の不作を心配、風雨の中を奔走し、風邪から肋膜炎、そして「帰宅して父母のもとに病臥す」となっている。しかし、当時の賢治の健康状態、気象状況、稲作の作況など、綿密な検証により、「賢治年譜」は必ずしも「真実」を伝えるものではなく、事実に必ずしも忠実ではない。とくに「賢治の療養状態は、たいした発熱があったわけでもないから療養の傍菊造りなどをして秋を過ごしていた。」
 では、なぜ賢治が自宅の父母の元で療養したのか?
 「陸軍特別大演習」を前にして行われた官憲の厳しい「アカ狩り」から逃れるためであり、賢治は病気であるということにして、実家に戻って自宅謹慎、蟄居していた。
 「例えばそのことは、
  ・当時、「陸軍特別大演習」を前にして、凄まじい「アカ狩り」が行われた。
  ・賢治は当時、労農党稗和支部の有力なシンパであった。
  ・賢治は川村尚三や八重樫賢師と接触があった。
  ・当時の気象データに基づけば、「風の中を徹宵東奔西走」するような「風雨」はなかった。
  ・当時の賢治の病状はそれほど重病であったとは言えない。」

 以上が、「不都合な真実」に対する本当の「真実」です。ここでも羅須地人協会と賢治の活動の真実に基づく実像を明らかにする上で、大変貴重な検証が行われたと評価したいと思います。
              〈『宮沢賢治の「羅須地人協会」 賢治とモリスの館十周年を迎えて』(仙台・羅須地人協会代表大内秀明)31p~〉

 私としては、身に余る評価をいただきすぎて恐縮するばかりだが、私の主張は案外荒唐無稽なものでもなさそうだということを、お陰様で知って安堵した。

 という次第で、先の㈠~㈦等についてはさらに自信を持ったのだが、そこには構造的な問題も横たわっていそうだから、㈠~㈥等の評価がどう定まるかは歴史の判断に委ね、あとは時を俟っていようと思っていた。

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            〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守  ☎ 0198-24-9813
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