みちのくの山野草

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農民が幸せになれるように?

2018-12-01 10:00:00 | 蟷螂の斧ではありますが
《「脱皮したばかりのカマキリ」振りかざす斧も弱々しい》(平成25年7月26日撮影)

鈴木
 では今度は、「賢治をヒーロー扱いする児童書」の232pの次の記述についてだ。
 農民が幸せになれるように『羅須地人協会』という、農民学校を開設して、若者を中心に農学の勉強会を始め、演奏会や演劇会、絵画の鑑賞会も開きました。
 「芸術の楽しみも知って、人として豊かに暮らすことは幸せにつながるのですよ」
とある。
荒木
 また「農民の幸せ」かよ。この章のタイトル「命をかけて、農民の幸せを願った童話作家 宮沢賢治とか、先の農民に幸せな生活を送くってほしいとか、そして今度の「農民が幸せになれるように『羅須地人協会』」とか、「農民の幸せ」というような言葉がこのようにあちこちに出てくると、児童向けのこの本を読んだ子どもたちはただそれだけで、賢治は「農民の幸せを願っていた」ということが事実だと誰でもがついつい思ってしまうんじゃないべが。もしかすると、洗脳っていうのはこのような繰り返しによって行われるのかな、くわばらくわばら。
吉田 
 一方で、「演奏会や演劇会、絵画の鑑賞会も開きました」については、実際はそれ程のものではなかったのだし、しかもあっという間に止めてしまったのだから、そのようなもので「農民が幸せになれる」はずもないことはほぼ自明。
荒木
 ということは、この「賢治をヒーロー扱いする児童書」の執筆者は、始めに「農民の幸せ」ありきということかもしれんな。あとはそこからは、演繹的に話を敷衍しているだけかも。
鈴木
 しかしもちろん、それだけでは到底真実は見えてこないし、説得力も足りない。だからそうじゃなくて、「羅須地人協会時代」の賢治の実際の営為等を調べた上で帰納的な推論もしながら、真実を見出す努力をせねば。
 ちなみに、さっき吉田が指摘したとおりで、演奏会といってもそれは極めて初心者のバンド程度のもので、せいぜい弾けた曲はほぼ唯一「太湖船」だけであったということだし、大正15年の秋に演劇会(『ポランの広場』六幕物)を上演しようとしたが実際に上演したという証言等もないから、はたして「開かれた」と言えるかどうか。まして、絵画の鑑賞会に到っては一体何のことを指しているのだろうか。ほんのそれらしいことはあったとしても、「羅須地人協会時代」に「絵画の鑑賞会」とまで言い切れる程のものがあったということを裏付ける証言や資料を私は知らないからだ。
吉田
 だから厳密には、「羅須地人協会時代」に「演奏会や演劇会、絵画の鑑賞会も開きました」とまではとてもじゃないが言えないだろう。おのずから、「芸術の楽しみも知って」という段階にまでは到っていなかったと判断せざるを得ない。ということであれば、「芸術の楽しみも知って、人として豊かに暮らすことは幸せにつながるのですよ」という論理は認めるにしても、「芸術の楽しみも知って」ということ自体がほぼあり得なかったのだから、この論理に当て嵌まるか否か以前の問題だ。そこで、簡潔に結論を言えば、
 「農民が幸せになれるように『羅須地人協会』を開設し」たと仮にしても、こんな『羅須地人協会』では到底「農民が幸せになれる」わけがない。
とならざるを得なかろう。
荒木
 でもさ、子どもたちはさっきの文章を読んでどう思うかというと、「若者を中心に農学の勉強会を始め、演奏会や演劇会、絵画の鑑賞会も開いたりしたことによって、農民は幸せに暮らせるようになりました」と素直に信じて、「賢治ってすんげえ人じゃん」と思わせられた場合も少なくないんじゃないのかな。
吉田
 だろうな。だから、賢治がはたして「芸術の楽しみも知って、人として豊かに暮らすことは幸せにつながるのですよ」と言ったかどうかはさて措き、児童向けの図書において、
 農民が幸せになれるように『羅須地人協会』という、農民学校を開設して、若者を中心に農学の勉強会を始め、演奏会や演劇会、絵画の鑑賞会も開きました。
 「芸術の楽しみも知って、人として豊かに暮らすことは幸せにつながるのですよ」
という書き方には問題がある。
荒木
 うむ?よくわからん。
吉田
 それは、さっき鈴木も似たようなことを言っていたが、書きっぱなしだからであり、検証していないからだ。
荒木
 あっ、そっか。
 農民が幸せになれるように『羅須地人協会』という、農民学校を開設して、若者を中心に農学の勉強会を始め、演奏会や演劇会、絵画の鑑賞会も開きました。
と書くことは取り敢えず是としても、「若者を中心に……演奏会や演劇会、絵画の鑑賞会も開きました」と書いた以上はしっかりとその裏付けを取り、その結果がどうだったかを検証せよ、ということな。
吉田
 大人向けであれば大人は批判力もあるから、仮にこのような手抜きの書き方をしてもよいのかもしれんが、批判力の乏しい子どもたち向けのこのような児童書であればとりわけ、物書きとしての責任と自覚を持って為すべきことを為した上で活字にせよ、ということだ。
荒木
 おっ、手厳しいな。要するに、
 農民が幸せになれるように『羅須地人協会』という、農民学校を開設して、若者を中心に農学の勉強会を始め、演奏会や演劇会、絵画の鑑賞会も開きました。
という書き方だけでは、子どもたち向けの本としては手抜きになっているから、ちゃんと調べた上で書け、ということだな。
吉田
 そういうこと。言い換えれば、この執筆者には、「農民が幸せに」という隻句で思考停止をしてほしくない、ということだ。
鈴木
 そうそう、そもそも「農民が幸せになれるように『羅須地人協会』を開設」ということ自体が危ういのだから。
荒木
 わかった。賢治は「農民が幸せになれるように」と願って『羅須地人協会』を設立したとはたして言い切れるのか、執筆者は先入観を捨て、そこをしっかりと調べた上で活字にしろよ。殆どそれをやっていないじゃないか、ということな。

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 賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』

             〈平成30年6月231日付『岩手日報』一面〉
を先頃出版いたしましたのでご案内申し上げます。
 その約一ヶ月後に、著者の実名「鈴木守」が使われている、個人攻撃ともとれそうな内容の「賢治学会代表理事名の文書」が全学会員に送付されました
 そこで、本当の賢治が明らかにされてしまったので賢治学会は困ってしまい、慌ててこのようなことをしたのではないか、と今話題になっている本です。
 現在、岩手県内の書店での店頭販売やアマゾン等でネット販売がなされおりますのでどうぞお買い求め下さい。
 あるいは、葉書か電話にて、『本統の賢治と本当の露』を入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金分として1,620円(本体価格1,500円+税120円、送料無料)分の郵便切手をお送り下さい。
      〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
               電話 0198-24-9813

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