《花巻鍋倉の黄金の波とえぐね》(2020年9月15日撮影)
この度、都道府県「幸福度」ランキング2020
が発表された。ちなみに、
ブランド総合研究所 ダイヤモンド・セレクト編集部
ライフ・社会 日本全国SDGs調査ランキング
には、具体的には、
このランキングは、ブランド総合研究所が今年6月に行った住民視点で地域の課題を明らかにする『都道府県SDGs調査2020』によるもの。それでは早速、47都道府県の住民へのアンケートでわかった「都道府県『幸福度』ランキング」を見ていこう。
都道府県「幸福度」ランキング
1位は2年連続で宮崎県に
「都道府県『幸福度』ランキング」1位は、昨年に引き続き宮崎県となった。昨年は「とても幸せ」と答えた人が32.1%だったが、今年は36.1%と4ポイントもアップした。また、幸福度の全国平均は昨年の66.6点から66.1点へとダウンしたのに対し、宮崎県は72.7点から74.0点へとアップしている。…投稿者略…東北のなかでも、岩手県だけは昨年から大きく順位を伸ばし24位(66.0点)だった。
ということなどが述べられていたので、岩手県人の私はちょっぴり嬉しくなった。と同時に、私はやはり凡人であったということを確信できてとても嬉しく思ったし、ちょっぴり自信も増した。都道府県「幸福度」ランキング
1位は2年連続で宮崎県に
「都道府県『幸福度』ランキング」1位は、昨年に引き続き宮崎県となった。昨年は「とても幸せ」と答えた人が32.1%だったが、今年は36.1%と4ポイントもアップした。また、幸福度の全国平均は昨年の66.6点から66.1点へとダウンしたのに対し、宮崎県は72.7点から74.0点へとアップしている。…投稿者略…東北のなかでも、岩手県だけは昨年から大きく順位を伸ばし24位(66.0点)だった。
それは、この「発表」を知り、以前投稿した〝凡人から見た「世界がぜんたい幸福」〟で論じた中身は「当たらずとも遠からず」だったのではなかろうか、と思えたからだ。
そもそも、〝凡人から見た天才賢治(ぜんたい幸福)〟において問題提起したように、凡人の私には、
世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない。……①
という表現の仕方は普通しないと思える。端的に言えば、「ぜんたい幸福」という成語は認知されていないはずだからである。したがって、もし〝①〟のままで論じたければ、用語の「ぜんたい幸福」を定義した上で始めるべきであろう。
なお〝①〟は、
世界がぜんたい、幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない。……❶
のことであり、「ぜんたい」は副詞的に用いられているのだという見方もあるようだが、違和感がないでもないが、雰囲気としてはわからぬわけでもない。かといって、それでは〝①〟と〝❶〟とではどれだけの違いがあるというのか。私にはほぼ同じである。それとも、この二つの間には明らかな差違があるのだろうか。残念ながら、説得力を持ってこの差違を解説している論考に私は巡り会えないでいる。それゆえ、ならばなにも普通の表現の仕方でない〝❶〟は措いといて、〝①〟に最も近い普通の表現の仕方である、
世界全体が幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない。……①′
に基づいて論ずべきだ。そしてこの「発表」によって、〝①′〟は論理的には成り立たないということを改めて確信した次第だ。
そもそも、「世界全体が幸福」になっていた実態は今迄一度もなかったことは自明であり、一方で〝①′〟によれば、「個人の幸福はあり得ない」というのだから、論理的には、世界の誰一人として幸福な人は、過去も今もそして未来もいないというということになる。
そこへもってきて、この度の「都道府県「幸福度」ランキング2020」 によれば、例えば宮崎県の場合、
昨年は「とても幸せ」と答えた人が32.1%だったが、今年は36.1%と4ポイントもアップした。
ということだから、「とても幸せ(とても幸福)」と答えた割合は宮崎県では3分の1前後もあったのだから、〝①′〟は論理的には成り立たないということを実証してくれている。延いては、〝①〟も成り立たないということにならざるを得なかろう。言い換えれば、〝①〟は論理が破綻している。
そしてもちろん、そんなことは賢治なら十分の承知の上であり、〝①〟は賢治が折伏する際のあくまでも心構えだったのだと、私は考えている。というのは、賢治は国柱会の信行員であったのだし、国柱会の設立者である田中智学は、理崎啓氏によれば、「日蓮の本意はあくまでも折伏で摂受ではないと、智学は断じている。」というから、当時の賢治は一時期かなり折伏に熱心だったはずだからである。
それにしても、殆どの方々は〝①〟に対して何故疑問を持たないのだろうか、私にはとても不思議だ。
以上、凡人のたわごとでした。
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私は非専門家。
************先頃、「非専門家の調査研究・報告書」だからという理由で「宮城県図書館」から寄贈を拒否された『本統の賢治と本当の露』です***********
賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』は、「仮説検証型研究」という手法によって、「羅須地人協会時代」を中心にして、この約10年間をかけて研究し続けてきたことをまとめたものである。そして本書出版の主な狙いは次の二つである。
1 創られた賢治ではなくて本統(本当)の賢治を、もうそろそろ私たちの手に取り戻すこと。
例えば、賢治は「ヒデリノトキニ涙ヲ流サナカッタ」し「寒サノ夏ニオロオロ歩ケナカッタ」ことを実証できた。だからこそ、賢治はそのようなことを悔い、「サウイフモノニワタシハナリタイ」と手帳に書いたのだと言える。
2 高瀬露に着せられた濡れ衣を少しでも晴らすこと。 賢治がいろいろと助けてもらった女性・高瀬露が、客観的な根拠もなしに〈悪女〉の濡れ衣を着せられているということを実証できた。そこで、その理不尽な実態を読者に知ってもらうこと(賢治もまたそれをひたすら願っているはずだ)によって露の濡れ衣を晴らし、尊厳を回復したい。
〈目次〉
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