《「脱皮したばかりのカマキリ」振りかざす斧も弱々しい》(平成25年7月26日撮影)
鈴木
そこで、『デキノボーになりたい 私の宮沢賢治』ならぬ『デクノボーになりたい 私の宮沢賢治』を実際に読み通してみたならば先のエピソード、
「いくら苗を育てても、冷たい風のせいでかれてしまう。これでは、お百姓さんたちの生活は苦しくなるばかりだ。どうしたらいいと思う?」
八木先生は、ときどきこうして子どもたちを外に連れ出してくれます。野山を散策しては、自然の美しさ、不思議さ、こわさを教えてくれました。
「ヤマセがふいてもかれない苗をつくって、植えればいいと思います」
〈『デクノボーになりたい 私の宮沢賢治』(山折哲雄著、小学館)217p~〉八木先生は、ときどきこうして子どもたちを外に連れ出してくれます。野山を散策しては、自然の美しさ、不思議さ、こわさを教えてくれました。
「ヤマセがふいてもかれない苗をつくって、植えればいいと思います」
というようなエピソードが書いてあったかというと……
荒木
どうだった。
鈴木
なかった。
吉田
通読したというのに、何もなかったのか。
鈴木
いや、強いて言えば、
賢治はまず科学者になろうとした。しかしながら、科学者としての一筋の道を突き進んでいったわけではなかった。科学者としては一貫してなかったわけです。詩人になろうとした。しかしかれは、高村光太郎のように詩人としても一貫した生き方をしたわけではなかった。それならば、童話作家としてその生涯を貫いたか。そうでもありません。農業指導者としても中途半端。宗教家としても、かれは出家の生活をしたわけではない。…(投稿者略)…宮沢賢治は、天体物理学、地質学、土壌学、音楽、天文学、そのすべての問題に普通以上のつよい好奇心をもっていたが、結局のところ、そのすべてにたいしてディレッタント(好事家)の態度を崩さなかったのではないか。外面的に見ればそのように映る。
〈『デクノボーになりたい 私の宮沢賢治』(山折哲雄著、小学館)33p〉という直截的な記述をしていたところがあって、意外に思いつつも多少頷きもした。
というのは、どうやら賢治の実態にはこのとおりであった点も少なくないと最近の私は思い始めていたからだ。特に、物理学、天文学、音楽そして農業指導等については巷間言われているほどのところまでは達していなかった、と。
荒木
どこどこ、な~るほど。でも待てよ。おいおい、山折氏は続けて、
しかし、私はそういう見方は、やはり浅薄だと思う。
と言って、鈴木のような見方をたしなめているではないか。うっしっし、どうやら墓穴を掘ったようだな。
鈴木
痛たた、浅はかだったか。
吉田
とはいえ、この「結局のところ、そのすべてにたいしてディレッタント」は言い得て妙であり、賢治の実態を結構的確に表現しているじゃないか。
鈴木
そっ、そうなんだよ。だから私たちは、この実態を素直に認めることがまず何よりも先だと思うんだよな。
吉田
たしかに現実は、このような賢治の実態を認めたくない人たちが案外少なくなさそうだ。そしてこのことは、鈴木の『本統の賢治と本当の露』に対する反撥がその証左になっているだろう。
荒木
とまれ、『デクノボーになりたい 私の宮沢賢治』には、件のエピソードは書かれていないという事がこれではっきりした。
それじゃ、残りの参考文献ではどうなってるんだべ。
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賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』
〈平成30年6月231日付『岩手日報』一面〉
を先頃出版いたしましたのでご案内申し上げます。
その約一ヶ月後に、著者の実名「鈴木守」が使われている、個人攻撃ともとれそうな内容の「賢治学会代表理事名の文書」が全学会員に送付されました。
そこで、本当の賢治が明らかにされてしまったので賢治学会は困ってしまい、慌ててこのようなことをしたのではないか、と今話題になっている本です。
現在、岩手県内の書店での店頭販売やアマゾン等でネット販売がなされおりますのでどうぞお買い求め下さい。
あるいは、葉書か電話にて、『本統の賢治と本当の露』を入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金分として1,620円(本体価格1,500円+税120円、送料無料)分の郵便切手をお送り下さい。
〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
電話 0198-24-9813
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