みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

『銀河の旅人』(堀尾青史著)の場合(承前)

2018-11-24 10:00:00 | 蟷螂の斧ではありますが
《「脱皮したばかりのカマキリ」振りかざす斧も弱々しい》(平成25年7月26日撮影)

***************************************〝『銀河の旅人』(堀尾青史著)の場合〟の続きである*******************************************
鈴木
 そのようなものはまだいくつかあったのだが、件のエピソードに直接関係するものは見つからなかった。
 ただし、これだけは是非紹介しておきたいことがある。それはこんなことが書かれていたからだ。
 賢治はたまらずとびだしました。ひどいあらしです。
 たんぼというたんぼは水びたしになり、稲は風にゆさぶられ、雨にうたれてどんどんたおれていきます。賢治はたんぼのあぜ道をかけまわりました。
 農家の人たちはみのかさに身をかためて、たんぼを守りにでています。このまま稲がたおれ、水びたしになって、くさってしまえば大そんがいですから、
「水をおとせ!」
「あぜをきれ!」
と、死にものぐるいです。賢治は相談を受けた農民を見ると、かけよってさけびました。
「がんばってください。だめになったならわたくしがつぐないをしますから」
           〈〃96p~〉
荒木
 しかしな、この話ほんとのことだべが。いくらなんでも、賢治が「がんばってください。だめになったならわたくしがつぐないをしますから」なんてこと言えるわけないだろう。
吉田
 そりゃあそうだよ。これは「羅須地人協会時代」の出来事になるだろうから、無収入の賢治がこんなことを言えるはずもなく、逆に賢治がそんな無責任なことを話したら、賢治が農民を見くびっていたことになる。だから、おそらくこれは著者のフィクションだろう。
 あっそうか、これの出所はあれだな。
荒木
 なんだよ、あれって? 
鈴木
 実はこれに似た光景が賢治のある詩に出てくるんだが、吉田の「あれ」とはこの詩のことだろ。そして吉田の推定はおそらく間違いない。なぜかというと、その翌日の出来事ことになるのだがこの本はこう続くからだ。
 賢治はねつのあるあついからだをおこしてとびだし、みんなのたんぼを見にいきました。
 するとどうでしょう。水びたしになってたおれていた稲は、バネのように立ちあがり、すがすがしくしずくをたらし、せいせいとそろって、太陽の光にかがやいているではありあませんか。
 水じょうきは一面にわき、せみはやかましくうたい、とんぼはスイスイとび、かっこうものどかになきだしました。
「やった」
賢治はこおどりしました。
 肥料のやりかた、手あてのしかたを守った人たちの稲は、みごとに立ちなおってくれたのです。
「よかった。もうだいじょうぶ。たとえこのつぎあらしがこようと、かならずおきあがるし、とりいれはあんしんだ」
「先生、おかげでした」
 農民の顔も、明るい空のようにはればれしたいました。
 が、賢治のからだは、ゆうべからの熱でますますふるえました。そうして、よろよろと家にもどると、そのままバッタリたおれてしまいました。
           〈〃98p~〉
荒木
 そっか、思い出した。これはあの有名な『和風は河谷いっぱいに吹く』と同じ内容ではないか。ならばまずは確認してみっぺ、たしか『校本宮澤賢治全集第四巻』だったよな、どれどれ。
   一〇二一  和風は河谷いっぱいに吹く  一九二七、八、二〇、
   たうたう稲は起きた
   まったくのいきもの
   まったくの精巧な機械
   稲がそろって起きてゐる
   雨のあひだまってゐた穎は
   いま小さな白い花をひらめかし
   しづかな飴いろの日だまりの上を
   赤いとんぼもすうすう飛ぶ
   あゝ
   南からまた西南から
   和風は河谷いっぱいに吹いて
   汗にまみれたシャツも乾けば
   熱した額やまぶたも冷える
   あらゆる辛苦の結果から
   七月稲はよく分蘖し
   豊かな秋を示してゐたが
   この八月のなかばのうちに
   十二の赤い朝焼けと
   湿度九〇の六日を数へ
   茎稈弱く徒長して
   穂も出し花もつけながら、
   ついに昨日のはげしい雨に
   次から次と倒れてしまひ
   うへには雨のしぶきのなかに
   とむらふやうなつめたい霧が
   倒れた稲を被ってゐた
   あゝ自然はあんまり意外で
   そしてあんまり正直だ
   百に一つなからうと思った
   あんな恐ろしい開花期の雨は
   もうまっかうからやって来て
   力を入れたほどのものを
   みんなばたばた倒してしまった
   その代りには
   十に一つも起きれまいと思ってゐたものが
   わづかの苗のつくり方のちがひや
   燐酸のやり方のために
   今日はそろってみな起きてゐる
   森で埋めた地平線から
   青くかゞやく死火山列から
   風はいちめん稲田をわたり
   また栗の葉をかゞやかし
   いまさわやかな蒸散と
   透明な汁液の移転
   あゝわれわれは曠野のなかに
   芦とも見えるまで逞ましくさやぐ稲田のなかに
   素朴なむかしの神々のやうに
   べんぶしてもべんぶしても足りない
             <『校本宮澤賢治全集第四巻』(筑摩書房)より>
 やっぱりな。
吉田
 そして、この「岩崎少年文庫」を読んだ鈴木のような素直な子どもは、「賢治は、貧しい農民たちのために自分の命を犠牲にしてまでも献身しようとした天才詩人であり童話作家である」とすっかり思わせられる。
鈴木
 今度は吉田もかよ、もう冷やかすのは勘弁してくれよ。
吉田
 わりわり。
 そういえば鈴木は以前、この詩『和風は河谷いっぱいに吹く』にはとんでもない虚構があるということを実証できたとか何とか、言ってたな。
鈴木
 とんでもないとまでは言えないかもしれないが、賢治らしからぬ虚構をしていたとは言える。ちなみにこの虚構に関連しては、天沢退二氏も次のように警告している。
 しかし「野の師父」はさらなる改稿を受けるにつれて、茫然とした空虚な表情へとうつろいを見せ、「和風は……」の下書稿はまだ七月の、台風襲来以前の段階で発想されており、最終形と同日付の「〔もうはたらくな〕」は、ごらんの通り、失意の暗い怒りの詩である。これら、一見リアルな、生活体験に発想したと見られる詩篇もまた、単純な実生活還元をゆるさない、屹立した〝心象スケッチ〟であることがわかる。
             〈『新編宮沢賢治詩集』(天沢退二郎編、新潮文庫)414p〉
 あるいは、同じく天沢氏は、特集対談「雨ニモマケズ」において、
 もう台風が過ぎ去ったあとで、自分がちゃんと肥料設計した他の稲がむっくりと起きたと、大喜びに喜んでいる詩があると思うと、同じ日付の別の詩で、稲がもうすっかり倒れてしまったと、絶望して、倒れたところにみんな、「弁償すると答えて行け」というように自分に向かって叫んでいる。つまり彼の現実生活と詩作品とを重ねて解釈しようなんてしても絶対だめなんです。いままでは彼の詩を読んで、それが彼の現実生活そのものだと思って、いろいろ彼の人間を論じていたでしょう。それは考え直さなければいけない。
             〈『太陽 5月号 No.156』(平凡社、昭和51年4月)94p〉
と論じていたことも私は知った。
 さらには、ある日、入沢康夫氏から拙ブログの投稿〝3156 『春と修羅第三集』の検証(#4)〟にコメントをいただいていて、その内容は次のようなものだった。
「和風は……」の詩の特異性 (入沢康夫) 2013-03-22 08:51:52
 私もかねてから「和風は河谷いっぱいに吹く」については、一筋縄ではいかない問題があると思っていました。第二集や第三集の作品で作品番号や日付が変わるのは、いずれもきわめて稀ですが、ここではその両方が生じています。(番号は「1093」から「1021」へ、日付は「1927・7・14・」から「1927・8・20・」へ。) この変化は、(晩年使用の黄罫詩稿用紙を使った)「下書稿(四)」で生じたもので、なぜ番号や日付を変え(ねばならなかっ)たのか、その理由をあれこれと推測するにつけ、この作品については、前後の作品との内容の齟齬を含め、興味がますます深まると共に、さらなる検討の必要を痛感しています。
 そこで私は、やはりそうだったのだと安堵したものだ。
吉田
 流石、天沢氏や入沢氏の場合は違う。賢治研究においてはあまりにもバイアスがかかりすぎた論考が多いが、お二人は当時の気象等をしっかりと調べて検証した上で、冷静に論じているということが言えるからだ。
荒木
 どういうこっちゃ。
鈴木
 それについてはもう少しじっくりと説明したいのだが、それをこれからするということになればかなり時間がかかるし、この話し合いは「児童向けの賢治関連の本」の問題点を論じているわけで、その主旨から逸れる。ついては、このことについては私が以前投稿した〝「和風は河谷いっぱいに吹く」と虚構〟を見てくれないかな。
荒木
 要は、面倒くせぇからだべ。
 が、そうしてやっか。次の『宮沢賢治』(西本鶏介著)の場合に移らなければならんしな。
吉田
 ただし一言だけ僕にも言わせてくれ。最後の記述、
 農民の顔も、明るい空のようにはればれしたいました。
 が、賢治のからだは、ゆうべからの熱でますますふるえました。そうして、よろよろと家にもどると、そのままバッタリたおれてしまいました。
だけは勘弁してほしいということをだ。
荒木
 これぐらいであれば、俺でさえもわかる。ひでぇ、無責任な切り貼りだもんな。それ以前の記述内容は昭和2年のことだが、最後の「賢治のからだは、ゆうべからの熱でますますふるえました。そうして、よろよろと家にもどると、そのままバッタリたおれてしまいました」はずっと後の昭和3年8月10日のことだべ。この書き方じゃ、まるで翌日のこととなる。
 しかも、このアンフェアな切り貼りによって、まさに「賢治は、貧しい農民たちのために自分の命を犠牲にしてまでも献身しようとした」と子どもたちは思い込まされるだろうからな。良かれと思ってのことだろうが、だからといって許されることではない。なぜなら、純真な子どもたちをもてあそんでいることになるからだよ。

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 賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』

             〈平成30年6月231日付『岩手日報』一面〉
を先頃出版いたしましたのでご案内申し上げます。
 その約一ヶ月後に、著者の実名「鈴木守」が使われている、個人攻撃ともとれそうな内容の「賢治学会代表理事名の文書」が全学会員に送付されました
 そこで、本当の賢治が明らかにされてしまったので賢治学会は困ってしまい、慌ててこのようなことをしたのではないか、と今話題になっている本です。
 現在、岩手県内の書店での店頭販売やアマゾン等でネット販売がなされおりますのでどうぞお買い求め下さい。
 あるいは、葉書か電話にて、『本統の賢治と本当の露』を入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金分として1,620円(本体価格1,500円+税120円、送料無料)分の郵便切手をお送り下さい。
      〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
               電話 0198-24-9813

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