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いい加減なことを「かたる」?

2018-12-25 12:00:00 | 検証「Wikipediaの高瀬露」
《『宮澤賢治幻の恋人』(澤村修治著、河出書房新社)》

鈴木 それでは再開しよっか。まずは、当該個所を再掲する。

1927年初頭、岩手県稗貫郡湯口村(現・花巻市)の宝閑小学校(現在は廃校)の訓導だった頃、農会主催の講習会や、藤原嘉藤治の音楽サロンを通じて宮澤賢治と知り合う[3:p.142]。賢治に好意を持った露は、羅須地人協会の高橋慶吾(もともと花巻バプテスト教会のもとに共に通っていた縁があった)に「先生にわたしを紹介してくれませんか」「わたしは先生の洗濯物や買物の世話をしたいと思っています」と頼み込み、賢治のもとへ連れて行ってもらう[4:p.142-143]。

 というわけで、今度はこの残りの、
 賢治に好意を持った露は、羅須地人協会の高橋慶吾(もともと花巻バプテスト教会のもとに共に通っていた縁があった)に「先生にわたしを紹介してくれませんか」「わたしは先生の洗濯物や買物の世話をしたいと思っています」と頼み込み、賢治のもとへ連れて行ってもらう[4:p.142-143]。
この部分だが、まず問題となるのは「賢治に好意を持った露は」だ。
 これは、[4:p.142-143]ということだから、『宮澤賢治幻の恋人』の142pの記述、
 憧れた賢治が近隣にやってきて、ひとりで暮らしている。露はこころが騒いだ。
に依っているのだろうが、どうして澤村氏はそこまで露の心の内が読めるのだろう……
荒木 そしてまた、それじゃ賢治の方はどうだったのか、そこも言及せなば不公平だべ。
鈴木 出典を明示していないからしかとは判らぬが、おそらくこれもまた高橋慶吾が関わっていて、彼の講話「賢治先生」の中の次の発言、
 某一女性が先生にすっかり惚れ込んで、夜となく、晝となく訪ねて來たことがありました。
            〈『イーハトーヴォ 創刊号』(宮澤賢治の会、昭和14年)〉
に依っているのかもしれないが。いずれにせよ、澤村氏はこの件についてしっかりと裏付けを取ったのだろうか、私が知っていることから判断すれば……
吉田 だから読者に不安を抱かせぬようにその裏付けを明示してほしい。もしそうでなければ、高橋慶吾の証言によれば云々というようハッキリと明記すべきだ。いずれ、安易な断定表現は物書きであればなおのこと謹むべきだ。
鈴木 また澤村氏は、同書に、
 「わたしは先生の洗濯物や買い物の世話をしたいと思っています」
             〈『宮澤賢治幻の恋人』(澤村修治著、河出書房新社)143p〉
と高橋慶吾に言ったと書いているが、その典拠は何か、私は訝るばかりだ。
吉田 たしかに、佐藤隆房が、
 どこの女性でもするやうに、その邊を掃除したり汚れ物を片付けたりしてくれるので、賢治さんも、これは便利と有難がつて、
「この頃は美しい會員が來て、いろいろ片付けてくれるのでとても助かるよ。」
と、集まつてくる男の人達にいひました。
            〈『宮澤賢治』(佐藤隆房著、)175p〉
とは書いているが、僕の知る限りでは、「わたしは先生の洗濯物や買い物の世話をしたいと思っています」と露が高橋慶吾に頼み込んだとは、慶吾自身も言ったとは証言していないのだからなおのこと、知らない。
荒木 ということは、いい加減なことを「かたるな」、と言えばいいのかな。とまれ、澤村さんはその典拠も明示していないし、その上に「Wikipediaの高瀬露」を編集した人は、澤村さんのこの記述を今度は単にコピペした、ということか。
吉田 さっきも似たようなことを僕は言ったからくどくなるが、そう、荒木のような読者からそんな手厳しい批判を受けなくてもいいように、物書きとしてのと為すべきことを為せ、ということだ。

鈴木 なお少し戻るのだが、例の「1927年初頭」はさて措き、「(露は)藤原嘉藤治の音楽サロンを通じて宮澤賢治と知り合う」ということになるわけだが、このようなことがあったということを裏付ける証言等を私は今まで探してきたのだが見つからなかった。というよりは、見つかったのはそれこそ『宮澤賢治幻の恋人』(澤村修治著、河出書房新社)の108pに、
 (賢治の花巻農学校勤務時代に)土曜の午後は、友人・藤原嘉藤治が勤務する花巻高女の音楽室でレコードコンサートが催され、音楽ファンに囲まれて文化サロンの楽しさも味わっていた。
 なお、サロンに参加していた女性の中に、のちの賢治の第二の恋人・高瀬露がいた。
とあるだけで、それ以外にこのことを裏付ける証言等は未だ見つからないでいる。
吉田 澤村氏はその出典を明らかにしていないし、ご自身の本の中に書いてあることを典拠とすることは……
鈴木 いや、もちろん澤村氏はその裏付けを取っているはずだから、改訂版ではそれを明示してほしいものだ。
吉田 そんなに遠慮せずにはっきり言えよ。これらの黄色い部分はその出典の著者が典拠を明示していないのだから、このような断定表現はできません、と。
荒木 例の「1927年初頭」をなんの脈絡もなく持ち出すような「Wikipediaの高瀬露」の編集人だから、そこまで調べていないのだろう。単なるコピペだよ、コピペ。
鈴木 それはちょっと言いすぎじゃないのかな……。

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 賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』

             〈平成30年6月28日付『岩手日報』一面〉
を先頃出版いたしましたのでご案内申し上げます。
 その約一ヶ月後に、著者の実名「鈴木守」が使われている、個人攻撃ともとれそうな内容の「賢治学会代表理事名の文書」が全学会員に送付されました
 そこで、本当の賢治が明らかにされてしまったので賢治学会は困ってしまい、慌ててこのようなことをしたのではないか、と今話題になっている本です。
 現在、岩手県内の書店での店頭販売やアマゾン等でネット販売がなされおりますのでどうぞお買い求め下さい。
 あるいは、葉書か電話にて、『本統の賢治と本当の露』を入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金分として1,620円(本体価格1,500円+税120円、送料無料)分の郵便切手をお送り下さい。
      〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
               電話 0198-24-9813

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