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2 年譜から消えてゆく

2024-02-05 10:00:00 | 賢治昭和二年の上京





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********************************** なお、以下は今回投稿分のテキスト形式版である。**************************
2 年譜から消えてゆく
 さて、かつての殆どの「宮澤賢治年譜」にはあったのにいつの間にか消えてしまったものがある。
 そこでこのことに関しての思考実験を以下に試みる。
 準備 かつての「通説」
 まずそのための準備である。かつての「宮澤賢治年譜」には
(ア) 昭和2年
  九月、上京、詩「自動車群夜となる」を創作す。
(イ) 昭和3年
  1月 この頃より、過勞と自炊に依る栄養不足にて漸    次身體衰弱す。
というものがあった。これらは当時のいわば「通説」であった。
 もちろん、もし(ア)や(イ)がその後に事実でないということが判ったというのであればその措置は当然のことである。例えば、これらに対する反例がそれぞれ見つかったということなどがあったとしたのならば。しかし、そのようなものが見つかったなどということは公的には一切知らされていないはずである。とすれば考えられることは次の
 ・実は反例があるのだがそれは公にできない。
 ・反例などないが不都合な真実だから抹消してしまいたい。
の二つの場合である。しかもいずれの場合にしても、「不都合な真実」であるから覆い隠してしまいたかったということに結局なりそうだ。
 準備 羅須地人協会の評価
 それにしても、羅須地人協会は私にとってはあまりにもわかっていないことが多すぎる。羅須地人協会の総体をどう評価すればいいのか皆目見当がつかないままにいる。
 では一般にはそれはどのように評価されているのだろうか。例えば、佐藤通雅氏は『宮沢賢治から<宮沢賢治>へ』(學藝書林)の中の章「亀裂する祝祭 羅須地人協会論」において次のように見ていると、私には読み取れる。
 羅須地人協会に関しての評価は正反対に分裂している。一つは賢治がこの地上において試みようとした理想郷、その思想は時代を超えた秀抜さがあるとする考えである。もう一つは逆に時代条件を考慮に入れぬ極めて脆弱な試行であって、文学の達成と関わりのない愚行だとする考えである。そして、前者の考えを代表するのが谷川徹三で、その理想世界を高く評価した。
と。
 たしかに佐藤氏の紹介するとおり、賢治の羅須地人協会に対しては関して極めて高く評価している人達も多いと思う。
 準備完了
 では、以前に述べたことと今述べたこととを併せて次の6つのことを確認しておきたい。
(a) かつての「通説」として「賢治年譜」の中に(ア)と(イ)があった。
(b) 昭和32年頃を境として、以後(ア)と(イ)が「賢治年譜」から消えていった。 
(c) 大正15年12月2日の上京の典拠を『宮澤賢治物語』等にある澤里証言とすれば「現通説」は自己撞着に陥ってしまう。
(d) 賢治の羅須地人協会に関しては極めて高く評価している 人達も多い。
(e)『宮澤賢治物語』の中で澤里は、「先生は三か月間のそういうはげしい、はげしい勉強で、とうとう病気になられ帰郷なさいました」と証言している。
(f) 新聞連載の『宮澤賢治物語』が単行本となった際に、「宮沢賢治年譜を見ると、昭和二年には先生は上京しておりません」の部分が著者以外の何者かによって「宮沢賢治年譜を見ると、昭和二年に上京して花巻にはおりません」と改竄された。
これで実験の準備は完了した。
 思考実験(年譜からの削除)
 では本番の思考実験を開始したい。
 かつて「通説」として(ア)と(イ)があった(=(a))のに、どうして昭和32年頃を境として、以後(ア)と(イ)が「賢治年譜」から消滅していった(=(b))のか。
 それは先の「実験準備」でも示したように、その頃からそれらは当時の賢治像としては「不都合な真実」だから消し去ってしまいたいという流れが作られていったので、その流れに従わざるを得なかったからである。
 実際、谷川徹三を始めとした「羅須地人協会に」対する当時の高い評価(=(d))からすれば、その「羅須地人協会時代」2年4ヶ月余の中に空白と見なされそうな約3ヶ月があり、しかも、その間の無理なチェロの練習がたたって病気になって花巻に戻った昭和3年1月の賢治が「漸次身體衰弱」状態であった(≒(e))ことに繋がる(ア)と(イ)が「賢治年譜」に明記されてあるのはまずいので不都合だと、当時ある有力な人物X氏は考えた。
 そこで、X氏はこのような情報操作(=(b))を実際に行った。併せて、この「(ア)と(イ)」と密接に関連する(c)の『宮澤賢治物語』における澤里証言がそのまま巷間広まることを避けねばならぬ
と思い詰めたX氏は『宮澤賢治物語』を改竄をした(=(f))。
思考実験終了
 なお、以上はあくまでも単なる実験である。
******************************************************* 以上 *********************************************************
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《新刊案内》
 この度、拙著『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』

を出版した。その最大の切っ掛けは、今から約半世紀以上も前に私の恩師でもあり、賢治の甥(妹シゲの長男)である岩田純蔵教授が目の前で、
 賢治はあまりにも聖人・君子化され過ぎてしまって、実は私はいろいろなことを知っているのだが、そのようなことはおいそれとは喋れなくなってしまった。
と嘆いたことである。そして、私は定年後ここまでの16年間ほどそのことに関して追究してきた結果、それに対する私なりの答が出た。
 延いては、
 小学校の国語教科書で、嘘かも知れない賢治終焉前日の面談をあたかも事実であるかの如くに教えている現実が今でもあるが、純真な子どもたちを騙している虞れのあるこのようなことをこのまま続けていていいのですか。もう止めていただきたい。
という課題があることを知ったので、
『校本宮澤賢治全集』には幾つかの杜撰な点があるから、とりわけ未来の子どもたちのために検証をし直し、どうかそれらの解消をしていただきたい。
と世に訴えたいという想いがふつふつと沸き起こってきたことが、今回の拙著出版の最大の理由である。

 しかしながら、数多おられる才気煥発・博覧強記の宮澤賢治研究者の方々の論考等を何度も目にしてきているので、非才な私にはなおさらにその追究は無謀なことだから諦めようかなという考えが何度か過った。……のだが、方法論としては次のようなことを心掛ければ非才な私でもなんとかなりそうだと直感した。
 まず、周知のようにデカルトは『方法序説』の中で、
 きわめてゆっくりと歩む人でも、つねにまっすぐな道をたどるなら、走りながらも道をそれてしまう人よりも、はるかに前進することができる。
と述べていることを私は思い出した。同時に、石井洋二郎氏が、
 あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること
という、研究における方法論を教えてくれていることもである。
 すると、この基本を心掛けて取り組めばなんとかなるだろうという根拠のない自信が生まれ、歩き出すことにした。

 そして歩いていると、ある著名な賢治研究者が私(鈴木守)の研究に関して、私の性格がおかしい(偏屈という意味?)から、その研究結果を受け容れがたいと言っているということを知った。まあ、人間的に至らない点が多々あるはずの私だからおかしいかも知れないが、研究内容やその結果と私の性格とは関係がないはずである。おかしいと仰るのであれば、そもそも、私の研究は基本的には「仮説検証型」研究ですから、たったこれだけで十分です。私の検証結果に対してこのような反例があると、たった一つの反例を突きつけていただけば、私は素直に引き下がります。間違っていましたと。

 そうして粘り強く歩き続けていたならば、私にも自分なりの賢治研究が出来た。しかも、それらは従前の定説や通説に鑑みれば、荒唐無稽だと嗤われそうなものが多かったのだが、そのような私の研究結果について、入沢康夫氏や大内秀明氏そして森義真氏からの支持もあるので、私はその研究結果に対して自信を増している。ちなみに、私が検証出来た仮説に対して、現時点で反例を突きつけて下さった方はまだ誰一人いない。

 そこで、私が今までに辿り着けた事柄を述べたのが、この拙著『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』(鈴木 守著、録繙堂出版、1,000円(税込み))であり、その目次は下掲のとおりである。

 現在、岩手県内の書店で販売されております。
 なお、岩手県外にお住まいの方も含め、本書の購入をご希望の場合は葉書か電話にて、入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金として1,000円分(送料無料)の切手を送って下さい。
            〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守  ☎ 0198-24-9813


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