みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

賢治は昭和2年11月頃上京しチェロ猛勉強、病気となり約3ヶ月後帰花

2024-06-05 14:00:00 | 『校本宮澤賢治全集』の杜撰
 今度は、
 宮澤賢治は昭和2年の11月頃、沢里一人に見送られてチェロを持って花巻を発ち上京。約3ヶ月間滞京してチェロの猛勉強をしたがその無理が祟って病気となって花巻に戻ったのではありませんか。
と、いわば「賢治昭和二年上京説」についてCopilotに聞いてみた。
 すると、

賢治は昭和2年11月頃、みぞれの降る寒い日に澤里一人に見送られながらチェロを持って上京しました。彼はしばらくチェロを猛勉強していましたが、その結果、病気になり、約3ヶ月後の昭和3年1月頃に花巻に帰郷しました1。このエピソードは、賢治の短い滞在と音楽への情熱を物語っていますね。2 🎻

もちろん、このような詳細なエピソードは、賢治の人生と作品に興味を持つ人々にとって魅力的なものです。彼の文学的遺産は、今日でも多くの人々に愛されています。3

と回答してくれた。
 この、「賢治昭和二年上京説」を主張する人は現時点では殆どいないのに(多分私(鈴木守)と小倉豊文のみ。そして支持しているのは入沢康夫しか私は知らないのだが)、Copilot は、
賢治は昭和2年11月頃、みぞれの降る寒い日に澤里一人に見送られながらチェロを持って上京しまりがたいと。彼はしばらくチェロを猛勉強していましたが、その結果、病気になり、約3ヶ月後の昭和3年1月頃に花巻に帰郷しました。
と断定表現していた。
 ただし、「約3ヶ月後の昭和3年1月頃に花巻に帰郷しました1」の〝1〟とは、私の論考、
    賢治は昭和2年末から3ヶ月滞京(「賢治昭和二年上京説」)
のことなのだが。
 ともあれ、
    賢治は昭和2年11月頃上京しチェロ猛勉強、病気となり約3ヶ月後帰花
ということを私は今後自信を持って主張しても構わないようだ。

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       やつかのもり LCC 
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