さて、高畠導宏さんの2週間の教育実習はあっという間に終わりました。
教育実習が終わり、東京へ戻ると、プロ野球の球団からのオファがありました。
しかし、高畠導宏さんはそれを断り、教師の道を選び、翌年の春、59歳の新人教師として高校に赴任しました。
高畠先生の赴任の挨拶
「わたしはプロ野球という世界で野球一筋に生きてきましたが、昨年の教育実習で皆さんと出会い、挑戦者魂が再び沸き起こりました。夢を持ち、あきらめずに突き進めば、夢は必ず達成できるものです。
わたしはここに骨をうずめる覚悟で、皆さんと一緒にやっていきます。
皆さんの将来の糸口を探しだすための手助けを命がけでバックアップしていきたいと思います。」
というものでした。
高畠先生は、その挨拶の言葉どおりに、日々に、そして最後まで実践されました。
生徒たちを温かい目で見守り、そして、誰にも明るく積極的に話しかけていきました。スランプで悩む生徒には黙って見守り、相談された時には励まし、閉じこもる生徒には、何度も家まで足を運び、生徒の声に耳を傾けようとしました。
そして、ガンの宣告を受けながら、卒業式にはどうしても出たい、子供たちを見送りたいと、心配する奥さんをよそに、入院を伸ばし、卒業式の最後まで生徒たちと共に過ごしました。
その卒業式が終わった後の最後のホームルーム。ここで、高畠先生は生徒たちにはじめて自分がガンであることを打ち明けます。生徒たちはびっくりしながら、つづけて語る先生の言葉に耳を傾けます。
「こうして立っとるのも奇跡じゃと言われてしもうた。卒業式の後、東京に戻ることにした。東京で徹底的に治して、また戻ってくる。」
そして、子供たちに贈る最後のメッセージを語り始めます。高畠先生の最後の言葉、どうぞ聞いてやってください。
「ワシがみんなに贈る言葉はこれじゃ。」 (と、黒板に大きく「気力」と書きます。)
「気力とは何か?」
そう言って、生徒たちに聞いていき、ひとしきり、聞き終わった後、再び、「気力」について、自分の考えを力強く語り始めます。
「わしは、あきらめん気持ちこそ気力だと言いたい。
あきらめちゃあいかん! わしも、みんなもじゃ。9回、2アウト、ランナーなしでも、何点離されていても、あきらめん気持ち、これが気力じゃ。気力は人を思う気持ちで強くなる。人に思われることでもっと強くなる。わしはこの気力で病気と闘ってくる。必ず気力で病気を治してくる。みんなもこれからの人生、いろんな困難があるじゃろう。『もう、あかん』『もう、投げ出そう』、そう思うこともあるじゃろう。けどなあ、その時、この言葉を思い出してほしい。“気力”じゃ!。」
そう言いながら、高畠先生はおもむろにバットを取り出し、力を振り絞って、2回、3回とフルスイングします。肩で息をしながら休み、さらにつづけて、3回、4回とフルスイングします。
一息入れて、また繰り返します。
生徒たちは、そのフルスイングを、息を凝らして見ています。
高畠先生はこのように、「気力」という最後のメッセージを子供たちに残して、東京へ戻り、5週間の入院生活を送り他界されました。
女子剣道部は今も試合の時、各選手がマジックで腕に「気力」と書き込んで試合に臨むとのこと。
そして、野球部は、高畠先生の残した7カ条を、練習の後、毎日全員で唱えるとのことでした。
高畠導宏さんは約束通り、きっと、子供たちの心に戻ってきているのだろうと思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
追記
高畠導宏さんは、コーチ時代に、選手を育てていく上において何かの役に立つだろうと、「教育論」の通信教育を受け、教員資格を取得していたとのことです。
○人に負けてもいいんだ。自分に負けなければチャンスはある! (高畠導宏)
「聳ゆる剣岳」