goo blog サービス終了のお知らせ 

気の向くままに

山、花、人生を讃える

前回記事の補足

2009年05月01日 | 人生
「責任感と無責任 2」の中で、

>他への「責任は果たすべき」という要求も捨て、「人はお互いに自由なんだ」ということを、よくわからせてもらいました。

と、書きましたが、この言葉は誤解を生みやすそうな感じもするので、少し補足させてもらいます。

ある人がお金を貸して、借りた人がそのお金を返さなかったら、返すように請求するのは当たり前のことで何も間違ったことではない。しかし、いくら請求しても返してくれない人もいます。そのような時、生長の家では「返してもらおうと思うのはやめなさい」と指導したりします。
(徳久先生は常識を超えた世界、有無相対を超えた世界とか言っておられましたが)

わたしの場合も、これと同じように、本に書いてあった言葉にびっくりして「責任を果たすべき」という心を捨てることがてきました。

職場では、それぞれに役割があり、また社内規定などもあって、役目を果たし、時間を守ったりするのは当たり前のことで、それを守らない者がいれば注意するのも当たり前のことで、反対に注意しないのは、職務怠慢かもしれない。とは言っても、実際にはそれでうまくいかないことが出てくるので、そういう時には宗教的世界へ入る必要に迫られてくるかと思います。
しかしながら、そうかと言って、その宗教的世界のことを、そのまま常識的世界へあてはめると、それもまた、身動きできなくなってしまう恐れもあるような気がします。それで念のため、このようなことを付け加えさせていただきました。

もうひとつ。
「責任を果たすべき」という強い言葉を使っていますが、何度も注意の必要に迫られていると、だんだん「責任を果たすべし」という強く要求する気持ちになっていたので、そのまま、こういう言葉を使わせてもらいました。

以上、蛇足のような気もしますが、気になりましたので書き加えることにしました。