気の向くままに

山、花、人生を讃える

「変化」の奥にあって「変化しないもの」

2020年08月27日 | 信仰

下の絵は、ちょっと失敗作だが、左はアオムシで、右はアゲハ蝶である。

    

絵は、アオムシが蛹を経て蝶へと「変化」することを現わしている。(中間の蛹は省略)

 

アオムシが蝶へと変化することは誰でも知っていることだが、では、その変化の奥に、「変化しないものがある」ということに気付いておられるだろうか。

 

木の枝を這いずっていたアオムシが、花から花へと飛ぶ蝶へと変化する。
この様に外見はまったく違ったものになりながら、その奥には変化しないものがある。

 

もし、「変化」の奥に「変化しないもの」がなかったら、それは或るものが消え、別のものが現われたのであって、その場合には、「変化」したとは言わない。変化と言うからには、変化の奥に変化しないものがなければならないのである。

 

さて、次は人間が「オギャア」と生れた赤ちゃんから、次第に成長して成人となり、やがて老人になる人間の一生を現わしている。

  

生理学では、人間の全身の細胞は、説にもよるが15年もしたらすべての細胞が入れ替わると言われる。生まれたばかりの赤ちゃんのときと、青年や老人の時とは、まるで見た目も細胞もすっかり入れ替わってしまっている。

 

この場合も、肉体の変化の奥に、「変化しないもの」がある。
だから、15歳のときに借金した自分と、今の自分とは肉体的には全然別だから、「俺は知らないよ」と言ってもそれは通用しない。

 

これが、人間は肉体ではないということの証拠であり、肉体は地球上で生活するための「宇宙服」と言われる所以なのだが、うべなるかなと思う。

 

今生では男だった自分が、次には女となって生まれてくるかもしれない。このように、男から女へと変化しても、やはり私は私であって、男として生きていた時も、女として生きているときも、同一人物と言わなければならない。

 

では心はどうか。
心も、精神状態も肉体の新陳代謝と同じく常に変化している。精神的な成長もあるし、性格も、とんがっていた性格が円満になったりもする。恨んでいた心が、感謝の心に変わったりすることは信仰の世界では珍しいことではない。

 

朝顔の花なら、種を割って調べても、その花の形はどこにもないが、しかし、朝顔の種は必ず朝顔の花を開くのであってバラの花にはならない。種の中には、三次元を超えた世界に既に朝顔の花が備わっているから、地に植えれば、時間の経過と共に双葉が出、茎が伸び、花芽が出、蕾となり、やがて花が開くように、人間も色々な経過をたどりながら、その人本来に備わっている美しい花を開かす時が来るのだろう。この様なことを人間は無意識のうちにも知っているから、人生の意義を見出そうとしたり、努力したりもするのではないか。

いずれにしても、変化する外見の奥に、変化を超えた、変わらざる「私なるもの」がいて、それが「本当の自分」なのだろうと思う。

 

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4 コメント

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Unknown (mocamoca)
2020-08-27 12:06:24
こんにちは(^ー^)
最近特に、自分は産まれてからずっと1日1日時間をかけて今なんだ と頭に浮かびます。感傷的とかではなく。
私は素晴らしい人格ではないのでまた産まれかわると思いますが、その時の自分の意識として今生きている感覚と同じなのでしょうか。前世の記憶はほとんどの人には無いようですか。
私としては産まれかわった私を客観的に見ていられる感覚だとありがたい。
と言うのも、もう産まれかわりたくないからです(о´∀`о)
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mocamocaさんへ (スズキ)
2020-08-27 15:05:22
こんにちは。
コメントありがとうございます。
人間の「生まれ変わり」を肯定されているようで、うれしく思いました。

人間は、死んでも死ないことは間違いないと思います。
もし「死んで、何もかもがおしまい」なら、無意味な苦労などしないで、さっさと死んでしまった方がいいということになり、生きる価値とか、人生の意味など凡て消え失せてしまいます。そうなれば、何も苦労などする必要もなく、本人が知らないうちに楽に死なせてあげるのが親切ということになりますので、それこそ不合理なことだと思います。
それに対して、「死んでも死なない」と考えれば、色々な点で合理的だし、また色々な宗教教祖が共通して教えていることからも、うなずけると思います。

とは言っても、生まれ変わって来る時には、ほとんどの場合前世の記憶を忘れて生まれて来ることになっているようです。それは、過去にとらわれず、新たな気持ちで出発する方がよいからのようです。
現在の自分と前世の自分を比較できた方が進歩の上で有利のようにも思えますが、実際は、たいがいの人は、過去がこうだったからと、過去に捉われ、自己限定してしまうことのほうが多いのでしょう。

この世に肉体をもって生きている間は、たいていの人は、生まれ変わりなどないほうがいいと考えますが、
(実は私も本心を言えば、生まれ変わりがないならその方がいいと思っています)それは、人生は楽じゃないことを知っているからでしょう。勉強だっていやだし、試験だっていやだし。(笑)

しかし、死んであの世に行くと、肉体という窮屈な制約から解放され軽やかで自由になると、本当の自分は「とても素晴らしいものだ」ということを知っている魂は、また地上に戻って、「やり直したい」と思ったり、もっといろいろな経験をしたいと思ったり、もっと自分の素晴らしさを地上で実現したい思うそうで、この世に生まれて来るのも、中々競争率が激しいそうですよ。(笑)

生まれ変わったとき、今生きている感覚と同じか?ということですが、これはどういう意味を言っておられるのかよくわかりませんが、とにかく今の人生も、既に何回かは生まれ変わっていると考えて間違いないと思いますので、そのことから或る程度は類推できるのではと思いますが・・・。

>ずっと1日1日時間をかけて今なんだ と頭に浮かびます。

明日のことを言うと鬼が笑いと言いますが、私は明日の事どころか、次の人生のことまで書いてしまいました。私はよく明日に伸ばしますが、本当は今なんですよね。コーヒータイムだけは、断じて「今」ですけどね。(笑)

色々書いているうちに長くなってしまいましたが、もし、間違いや、失礼があったらお許しください。
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Unknown (mocamoca)
2020-08-27 16:21:49
お返事、ありがとうございました。
とても丁寧に分かりやすく沢山書いて頂いて感謝します。
あの世に行ったら再びこの世で魂の修行をしたくなるのでしょうか。
気が遠くなりそうですが(*´▽`*)
魂のふるさとに帰ってしまったら再び頑張れない気がします(笑)
あの世で本当のふるさとのソウルメイト達と泣く泣く別れて『頑張ってくる』と誓ったのでしょうけど。(私はそう信じています(^ー^)
私のために時間を割いて頂いてありがとうございました(^ー^)
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mocamocaさんへ (スズキ)
2020-08-27 18:05:42
こちらこそご丁寧にありがとうございます。
私はこのような話は好きですし、今まで知らなかったmocamocaさんのことを少しは知ることが出来て良かったです。こちらこそありがとうございました。
返信する

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