新・むかごの日記

高槻市に在住の、人間と自然が大好きな昭和1桁生まれの爺さんです。
出かけるときはカメラ連れ。
目標は毎日1記事です。

ウメ:紅梅(平安人は紅梅?)

2007-02-05 07:32:52 | 植物観察1日1題

万博の梅林で、早咲きの梅が4~5分咲きになっています。写真は万博でこの時季に咲く5種類ほどの紅梅のなかで最も紅の濃い黒龍仁という品種です。
ウメの園芸品種は、野梅系、豊後系、杏系、紅梅系に大別され紅梅系は枝の髄まで赤いのが特徴です。
実をとる梅は普通白梅なのに対して紅梅系はもっぱら観賞用に植栽されます。
実用としての白梅が主流だった万葉の時代(3月1日記事)から、時代が下ると、園芸技術が向上し、生活の態様、質も向上してきて、詩歌などにでるウメも観賞用としての紅梅が多くなります。
「東風吹かば 匂いおこせよ 梅の花・・・」で有名な菅原道真は、意外にも京の館が「紅梅殿」と呼ばれるほどの紅梅好きだったようですし、大鏡に出る「鶯宿梅」の故事(06年3月21日記事)も、紅梅をめぐる有名な話です。
さらに清少納言は、「木の花は濃きの薄きも紅梅」といい、兼好法師は、白い梅もよいが「うす紅梅、ひとえなるがとく咲きたるも、重なりたる紅梅のにほひめでたきもみなをかし」といって、豪華な八重咲きの紅梅もよしとしています。
万葉から平安へ人々に愛でられた梅もやがて桜に主役を譲ってゆきます。京都御所紫宸殿前の左近の梅が左近の桜に取って代わられたのは平安の世も約150年を経た天暦元年(947)のことでした。

ウメ:白梅(雪中に梅花力を見る) 

2007-02-03 07:48:42 | 植物観察1日1題

1日の読売夕刊で、中西 進 京都市立芸術大学長の 「梅花力」の話が掲載されていました。
道元が正法眼蔵で、「風をしき雪をなし、歳を序あらしめ、および渓林万物をあらしむる、みな梅花力なり。」といっているそうです。一年中に吹く風を繰り返させ、雪を降らせるのは梅の花の力で、月日の運行を順序よく秩序づけるのは実に梅の花の力だというのです。
小さな梅の花に万物の秩序を司る力をあるとする鋭い感覚とともに、当今流行の老人力、教育力などの言葉より800年も前に○○力の言葉があったことに驚き、妙に印象的でした。
その翌日(2日)の朝、目覚めると暖冬の夢を破って粉雪が舞い草木も薄化粧です。雪中に「梅花力」を体感しようと家の前の土手に走りました。
今にもほころびそうな白梅のつぼみの上に、僅かに消えやらぬ雪が光っています。
中西学長はいいます「一輪の梅の花の綻びによって春は始まる。しかしこの一輪は風景をあまねく展開させてゆくべき、自然の意思の現われなのである。」と。
冷たい雪を載せた薄紅の蕾は、凛として、今まさに始まろうとする天地の春の到来を告げているのです。

ウメ:白梅(万葉人は白梅)

2007-02-01 09:18:46 | 植物観察1日1題

暖冬続きで、生駒山山麓のとある禅寺の境内に、早咲きの白梅(ウメ:バラ科サクラ属)がほころび始めていました。去年の記事を見ると3月1日付けで、万博公園の梅がやっとちらほら咲き始めたとありますから、ことしは1月も早い感じになります。
「わが園に 梅の花散るひさかたの 天より雪の 流れ来るかも」(大伴旅人:巻5-822)
天平2年正月13日、大伴旅人は任地の大宰府の館で新春を寿ぐ梅見の宴を盛大に催します。
万葉集にはそのとき集まった32人が詠んだ歌が「梅花の歌三十二首」として載っています。散る梅を雪に見立てた旅人のこの歌から梅は白梅だったことがわかります。
ウメは古い時代に中国から入ってきたもので、当初はウメの語源となったともいわれる梅の若実を燻した生薬の烏梅(うばい)を採るために輸入、栽培されたと考えられており、当時は実をとるための白い梅が主流でした。しかし万葉集では実用としての梅を詠ったのは1首もなく、旅人の梅見の宴のように、万葉の時代には、すでに梅は観賞の対象としても人気があったことがうかがえます。
ちなみに万葉集に梅は119首現れるのに対し桜は46種で、万葉の時代は断然桜より梅だったようです。また梅見と萩見の歌はありますが、サクラの花見の歌は見当たりません。桜の人気が高まったのはずっと後代のことになります。