簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

特攻平和会館 (JR乗り潰しの旅)

2012-04-06 | Weblog
 県道からは、何台もの乗用車が引っ切り無しに出入りしている。
広い駐車場には何台もの大型のバスが、鼻先を綺麗に揃えて停まっている。
 

バスを降りた人びとの流れる先には、“特攻平和観音堂”と“特攻平和会館”がある。



 “特攻平和観音堂”の境内には、当時の出撃姿の特攻隊員の像や、安らぎを願う
母の像が、戦闘機・隼や航空自衛隊の練習機に混じって建っている。





 その左手には、復元されて三角兵舎が林の中に建っている。
敵の目を欺くため屋根だけを除いて建物は地下に埋められているので、こう呼ばれ
るようになった建物は、中央を通路が貫き、その左右に造られた上り框の片側に
八人ほどが寝起きした場所で、そこには薄暗い裸電球しか灯されていない。
 ここに入った兵士は一日から、長くても三日の内には南の空に飛び立って行った。





 その横に建つのが“特攻平和会館”である。
太平洋戦争末期の沖縄戦で、爆装した特攻機で出撃し特攻戦死した1036名の隊員の
遺影や遺品・遺書・絶筆などが収集・展示されている。





「敵に神州の地を踏ますな」「敵兵の沖縄上陸阻止」のスローガンのもと、父や母、兄弟
姉妹を思い案じながらも祖国の勝利を信じ、勇猛果敢に飛び立って行った僅か二十歳に
も満たない少年兵たちの心の慟哭が聞こえるようである。
 館内の中央で語り部の話を神妙に聞く、修学旅行生の姿も印象的であった。(続)


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トメの想い (JR乗り潰しの旅)

2012-04-04 | Weblog
 歩けば30分ほどかかると聞いて、”ホタル館”前(中部バス停)からバスに乗った。



 知覧は静かで小さな町である。
暫く走ると屋並みは切れ、切り通しの山道が緩く登る県道を走ることに成る。
すると突然道路にびっしりと並ぶ夥しい数の石灯籠が現れる。

 戦争末期、沖縄の空に散った若い特攻兵の霊を慰めるために、全国各地から集めら
れた浄財で立てられたもので、その一つ一つに献灯者の名前が刻まれている。



 バスは、坂を登り切った辺り、特攻観音入口で停まる。
ここら辺りが旧陸軍知覧飛行場の跡地と言われる場所である。
木佐貫原と言われる平地に目を付けた陸軍が、福岡にある陸軍大刀洗い飛行学校の
分教場として整備、少年兵の卵を迎えたのが昭和17年1月の事。



 過酷な訓練に明け暮れる十四五歳の少年兵にとって、たまの休日を過ごす富屋食堂
やトメの存在は、息を抜き心を休める唯一のものであったようだ。
 やがて戦局が変わり知覧が特攻基地となると、少年兵たちは国や家族の将来を思い
ながら次々とこの地から南の空に飛び立って行くのである。



 戦後に成って、知覧から出撃した特攻兵の霊を慰めるため、観音像建立の提案を
続けるトメの想いが叶うのは、昭和30年の事である。
“特攻平和観音堂”には、大和法隆寺の秘仏・夢ちがい観音を模した“特攻観音像”
が建立され、像内には特攻勇士1036名の芳名が納められた。
 そこは旧陸軍知覧飛行場跡地の北東部に当たる場所である。(続)




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ホタル館 (JR乗り潰しの旅)

2012-04-02 | Weblog


 『少年飛行兵の教官をしていた藤井中尉は、少年兵たちの戦死の報を聞く度に「お前たち
だけを死なせるわけにはいかん」と自らも特攻兵を志願した。
 しかし中尉は年齢的にも若くは無く、既に結婚し、子供もいたことから当然のようにその
願いは却下された。ところが中尉の信念は固く、今度は血書を認め再び願い出るのである。

 当初は出撃に反対していた妻は、夫の決意が余りにも固い事を知り、ある日幼い二人の
子供を道連れに、近くを流れる荒川に自ら身を投げる。
「これで後願の憂いも無く成りましょう・・お先に行って待っています・・」と言う遺書を残して。

 こんな事があって特攻志願を受理された中尉は、特攻出撃も終わりが近づいたある日、
部下を率いて出撃華々しく南の海で散華、愛おしい妻子の待つ彼の世へと旅立って逝った。
妻子の死から13日後の事である。そして間も無く終戦を迎えようとしていた時期に・・。』





 唱歌のBGMが低く流れる、静まり返った館内で涙が止まらなかった。
誰もが一様に掲げられたパネルの文字を追いながら、口元にハンカチを当て、指先で瞼
をぬぐっていた。息を呑むように、呻くように、呟くように、微かに囁き合う声と、鼻を啜る
音が聞こえるだけで、時折歩を進める足音だけがコツンコツンと、か弱げに響いていた。
 余りにも悲しい現実に、誰もが心を奪われ、呆然とただパネルを見つめるのである。



 ”ホタル館 特攻の母鳥濱トメ資料館”は、軍指定の富屋食堂を営む特攻の母と
慕われたトメと、特攻少年兵たちとの数々の交流のエピソードを紹介し、パネルや
遺品・写真を通じて「命の何たるか」を悲しく問いかけている。(続)



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