天竜峡駅を過ぎると、車窓の趣は少しずつ変わって行く。
厳しい山塊は徐々に遠ざかり、視界は開け、所々で小さな集落を見かけ
たりもする。
この辺りまで来ると、流石にトンネルを潜ることもなくなる。
遠くの山並み、長閑な里山の風景は、これまでとは違った趣を見せている。
鉄道の沿線に沿って延びる小さな町並は、ゆっくりと後ろに流れていく。
川路、時又、駄科、毛賀と停車を重ねていくが、これらの駅間は何れ
も2㎞にも満たない短かなもので、都会の電車並ではあるが人の乗り降
りは残念ながら殆ど無い。
駅間が短いのは、飯田線の前身である伊奈電気鉄道時代の名残だ。
だいぶ高度も上がってきたようで、どうやら飯田線は、河岸段丘の段
丘面を進んでいるようだ。
ここは東の伊那山地、西の木曽山地に挟まった盆地で、土地自体はかな
り起伏の厳しい、所謂「伊那谷」と言われる地である。
天竜川は遙か先の抉られた段丘崖の底を流れているらしく、車窓から
直接川の流れを目にする事が殆どなくなった。
天竜峡駅で382mあった標高は、駄科では411mになり、5㎞ほどの間
に30m程上っている。しかし川路や毛賀では一旦標高が下がっていて、
盆地とは言え、起伏のある地と知れる。
川路駅は、開業当初は「伊那川路」と言った。
地名が示す通り、伊那谷の天竜川の川筋に開けた町らしく、この辺りの
標高は一段と低くなっている。
その為駅周辺は、「三六災害」「五八災害」など、度重なる大きな水害
の受難の歴史があると言う。
伊那谷を行く飯田線は、その先からは更に高度を上げていく。
その行く手には名うての急勾配区間も待ち構えている。(続)
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厳しい山塊は徐々に遠ざかり、視界は開け、所々で小さな集落を見かけ
たりもする。
この辺りまで来ると、流石にトンネルを潜ることもなくなる。
遠くの山並み、長閑な里山の風景は、これまでとは違った趣を見せている。
鉄道の沿線に沿って延びる小さな町並は、ゆっくりと後ろに流れていく。
川路、時又、駄科、毛賀と停車を重ねていくが、これらの駅間は何れ
も2㎞にも満たない短かなもので、都会の電車並ではあるが人の乗り降
りは残念ながら殆ど無い。
駅間が短いのは、飯田線の前身である伊奈電気鉄道時代の名残だ。
だいぶ高度も上がってきたようで、どうやら飯田線は、河岸段丘の段
丘面を進んでいるようだ。
ここは東の伊那山地、西の木曽山地に挟まった盆地で、土地自体はかな
り起伏の厳しい、所謂「伊那谷」と言われる地である。
天竜川は遙か先の抉られた段丘崖の底を流れているらしく、車窓から
直接川の流れを目にする事が殆どなくなった。
天竜峡駅で382mあった標高は、駄科では411mになり、5㎞ほどの間
に30m程上っている。しかし川路や毛賀では一旦標高が下がっていて、
盆地とは言え、起伏のある地と知れる。
川路駅は、開業当初は「伊那川路」と言った。
地名が示す通り、伊那谷の天竜川の川筋に開けた町らしく、この辺りの
標高は一段と低くなっている。
その為駅周辺は、「三六災害」「五八災害」など、度重なる大きな水害
の受難の歴史があると言う。
伊那谷を行く飯田線は、その先からは更に高度を上げていく。
その行く手には名うての急勾配区間も待ち構えている。(続)
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