飯田線では湯谷温泉駅が名駅舎として知られていた。
大正12(1923)年に、鳳来寺鉄道として開業した駅で、L形をした木造
の二階建ての大きな駅舎には、鉄道会社直営の旅館も併設されていて、
ステーションホテルの先駆けと言われていた。
半世紀ほど前に初めて訪れた折に、目にしているはずだが、当時は全く
興味も無く、記憶にも残っていないが、今から思えば残念で仕方が無い。
そんな名駅舎も寄る年波には抗えず、令和に入ると早々に取り壊された事
をある日のニュースで知った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/97/87a2267ec3bbc207e2b5e332740e6547.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/c9/0696404e7c6bf9e14ebb3fefa8847f56.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/dc/636f6930a8b96250ed2da89c3c47ab69.jpg)
駄科には廃線になった相対式ホームの名残がそのまま残されていた。
次の毛賀のホームには、山里の駅には珍しくモダンなガラス張りの待合
室がに設けられている。
そんな駅を車窓から眺めていると、1㎞程で伊那八幡に到着する。
僅かな停車時間の間にホームから窺うだけで、全体を詳細に見られな
いのが残念だが、2面2線の相対式ホームを持つ無人駅の駅舎は名建築
として知られている。
ホーム側の白く塗られた柱で組まれた上屋は味わい深く趣もあるが、
窓や扉にはアルミサッシがはめ込まれていて、残念ながらこれが歴史的
価値を低下させているようだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/9a/2c7cd08333025611d29152884b08cf08.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/d0/47fe1f25567104f56f3401024958dda2.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/7b/42dc004826f0e4c64b7507b7fb2ec253.jpg)
ある物の本によると、「マンサハードの玄関に縦長の窓、洋館のポイン
トを押さえた駅舎で、伊那電気鉄道時代の大正15(1926)年に建築された
もの」だと書かれている。
嘗ては「鳩ケ嶺八幡宮」参拝の玄関口に有り、観光駅舎であったらしい。
この八幡宮は駅の西500mほどのところに鎮座する、伊那谷を代表する宮で、
駅名もそれに因んでいる。
飯田線に急行列車が運行されていた時代は、その停車駅でも有った。(続)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/c5/608a98fcd1340cbecac4921275227ec4.jpg)
にほんブログ村
大正12(1923)年に、鳳来寺鉄道として開業した駅で、L形をした木造
の二階建ての大きな駅舎には、鉄道会社直営の旅館も併設されていて、
ステーションホテルの先駆けと言われていた。
半世紀ほど前に初めて訪れた折に、目にしているはずだが、当時は全く
興味も無く、記憶にも残っていないが、今から思えば残念で仕方が無い。
そんな名駅舎も寄る年波には抗えず、令和に入ると早々に取り壊された事
をある日のニュースで知った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/97/87a2267ec3bbc207e2b5e332740e6547.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/c9/0696404e7c6bf9e14ebb3fefa8847f56.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/dc/636f6930a8b96250ed2da89c3c47ab69.jpg)
駄科には廃線になった相対式ホームの名残がそのまま残されていた。
次の毛賀のホームには、山里の駅には珍しくモダンなガラス張りの待合
室がに設けられている。
そんな駅を車窓から眺めていると、1㎞程で伊那八幡に到着する。
僅かな停車時間の間にホームから窺うだけで、全体を詳細に見られな
いのが残念だが、2面2線の相対式ホームを持つ無人駅の駅舎は名建築
として知られている。
ホーム側の白く塗られた柱で組まれた上屋は味わい深く趣もあるが、
窓や扉にはアルミサッシがはめ込まれていて、残念ながらこれが歴史的
価値を低下させているようだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/9a/2c7cd08333025611d29152884b08cf08.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/d0/47fe1f25567104f56f3401024958dda2.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/7b/42dc004826f0e4c64b7507b7fb2ec253.jpg)
ある物の本によると、「マンサハードの玄関に縦長の窓、洋館のポイン
トを押さえた駅舎で、伊那電気鉄道時代の大正15(1926)年に建築された
もの」だと書かれている。
嘗ては「鳩ケ嶺八幡宮」参拝の玄関口に有り、観光駅舎であったらしい。
この八幡宮は駅の西500mほどのところに鎮座する、伊那谷を代表する宮で、
駅名もそれに因んでいる。
飯田線に急行列車が運行されていた時代は、その停車駅でも有った。(続)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/c5/608a98fcd1340cbecac4921275227ec4.jpg)
![にほんブログ村 旅行ブログへ](http://travel.blogmura.com/img/travel88_31.gif)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます