簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
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食べたまま、書いてます。

大江の千里(東海道歩き旅・近江の国)

2024-05-22 | Weblog
 東海道は一里山から坂を下り、西に進路を修正しながら大江の集落
に入っていく。瀬田小学校を外れたところで、直角に曲り南に向かい、
400m余り進んで今度は右に直角に曲がる。
旧道らしく余り広く無い道が住宅密集地を縫うように抜けている。



 大江の地を荘園として持っていたと伝えられる「大江の千里」の説明
板が建っていた。平安時代の歌人で、三十六歌仙の一人として知られた
人物らしく、この「大江」の地名も、大江氏に因んだものとされている。



「月見れば 千々にものこそ悲しけれ 我が身ひとつの秋にあらねど」

 百人一首の第二十三首らしいが、和歌の事はよく分からない。
没後、住居の旧跡に小祠(野上社)を建て遺徳をしのんだという。
大江東自治会館前に 「野上社旧蹟」の碑が有ったようだが、見逃した。



 右に浄光寺を見て進むと、途中には「大場の桜」というのがあった。
樹齢的二百年と言われる古木で、旧東海道筋にあり美しい花を今でも咲
かせるという。
更に坂を下ると、T字路に突き当たり、東海道は左に曲がる。



 この辺りが旧東海道と旧芦浦街道との分岐点らしい。
芦浦街道は、近世に近江国栗太郡を南北に貫いていた東海道の枝道の一
つで、大江(現大津市大江3丁目)と芦浦(現草津市芦浦町)までの約
11kmを結ぶ道の事を言う。



 湖岸に沿った南北の道路で蘆浦路、瀬田道とも言われ、明治以降は県
道となり、芦浦街道と呼称されるようになった。
 この分岐点にある会社の敷地に、大きな狸陶像が立ち、足元に小さな
地蔵尊の祠が有った。白い大きな腹に社章が描かれているので、同社の
看板かシンボルのようだ。(続)





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