東海道は一里山から坂を下り、西に進路を修正しながら大江の集落
に入っていく。瀬田小学校を外れたところで、直角に曲り南に向かい、
400m余り進んで今度は右に直角に曲がる。
旧道らしく余り広く無い道が住宅密集地を縫うように抜けている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/6b/7e3f9d3df2d67e104b730d5f19c82766.jpg)
大江の地を荘園として持っていたと伝えられる「大江の千里」の説明
板が建っていた。平安時代の歌人で、三十六歌仙の一人として知られた
人物らしく、この「大江」の地名も、大江氏に因んだものとされている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/df/2f91fbbbd68a9cdc8a94eb9d80db4d3a.jpg)
「月見れば 千々にものこそ悲しけれ 我が身ひとつの秋にあらねど」
百人一首の第二十三首らしいが、和歌の事はよく分からない。
没後、住居の旧跡に小祠(野上社)を建て遺徳をしのんだという。
大江東自治会館前に 「野上社旧蹟」の碑が有ったようだが、見逃した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/18/905df12b2f9e925acea255668fd4f5ce.jpg)
右に浄光寺を見て進むと、途中には「大場の桜」というのがあった。
樹齢的二百年と言われる古木で、旧東海道筋にあり美しい花を今でも咲
かせるという。
更に坂を下ると、T字路に突き当たり、東海道は左に曲がる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/81/358a4dae97f020c43d355e7b5ad829c2.jpg)
この辺りが旧東海道と旧芦浦街道との分岐点らしい。
芦浦街道は、近世に近江国栗太郡を南北に貫いていた東海道の枝道の一
つで、大江(現大津市大江3丁目)と芦浦(現草津市芦浦町)までの約
11kmを結ぶ道の事を言う。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/62/e151a7c6a69341be435d7a3bf4d45b50.jpg)
湖岸に沿った南北の道路で蘆浦路、瀬田道とも言われ、明治以降は県
道となり、芦浦街道と呼称されるようになった。
この分岐点にある会社の敷地に、大きな狸陶像が立ち、足元に小さな
地蔵尊の祠が有った。白い大きな腹に社章が描かれているので、同社の
看板かシンボルのようだ。(続)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/b4/378b84f94aa197e1ee412965f63daf35.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/c5/608a98fcd1340cbecac4921275227ec4.jpg)
にほんブログ村
に入っていく。瀬田小学校を外れたところで、直角に曲り南に向かい、
400m余り進んで今度は右に直角に曲がる。
旧道らしく余り広く無い道が住宅密集地を縫うように抜けている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/6b/7e3f9d3df2d67e104b730d5f19c82766.jpg)
大江の地を荘園として持っていたと伝えられる「大江の千里」の説明
板が建っていた。平安時代の歌人で、三十六歌仙の一人として知られた
人物らしく、この「大江」の地名も、大江氏に因んだものとされている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/df/2f91fbbbd68a9cdc8a94eb9d80db4d3a.jpg)
「月見れば 千々にものこそ悲しけれ 我が身ひとつの秋にあらねど」
百人一首の第二十三首らしいが、和歌の事はよく分からない。
没後、住居の旧跡に小祠(野上社)を建て遺徳をしのんだという。
大江東自治会館前に 「野上社旧蹟」の碑が有ったようだが、見逃した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/18/905df12b2f9e925acea255668fd4f5ce.jpg)
右に浄光寺を見て進むと、途中には「大場の桜」というのがあった。
樹齢的二百年と言われる古木で、旧東海道筋にあり美しい花を今でも咲
かせるという。
更に坂を下ると、T字路に突き当たり、東海道は左に曲がる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/81/358a4dae97f020c43d355e7b5ad829c2.jpg)
この辺りが旧東海道と旧芦浦街道との分岐点らしい。
芦浦街道は、近世に近江国栗太郡を南北に貫いていた東海道の枝道の一
つで、大江(現大津市大江3丁目)と芦浦(現草津市芦浦町)までの約
11kmを結ぶ道の事を言う。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/62/e151a7c6a69341be435d7a3bf4d45b50.jpg)
湖岸に沿った南北の道路で蘆浦路、瀬田道とも言われ、明治以降は県
道となり、芦浦街道と呼称されるようになった。
この分岐点にある会社の敷地に、大きな狸陶像が立ち、足元に小さな
地蔵尊の祠が有った。白い大きな腹に社章が描かれているので、同社の
看板かシンボルのようだ。(続)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/b4/378b84f94aa197e1ee412965f63daf35.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/c5/608a98fcd1340cbecac4921275227ec4.jpg)
![にほんブログ村 旅行ブログへ](http://travel.blogmura.com/img/travel88_31.gif)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます