簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
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食べたまま、書いてます。

藤戸の町 (JR乗り潰し・本四備讃線)

2022-03-23 | Weblog


 一時間に一本程度しかない本四備讃線の普通列車は、茶屋町を出てそ
の先で宇野線と別れると、次の停車駅は植松である。
開通に際し、地元の強い要望を受け設けられた、高架の無人駅だ。
この駅から北西に2キロ余り離れたところに、藤戸と言う集落が有る。



 かつては小さな島が点在する海であったところだ。
江戸期以降の大規模な干拓工事で新田が造成され、藤戸海峡と呼ばれた
海が消え、海峡に浮かんでいた藤戸・天城の島々は山丘となり、そんな
緑に囲まれた静かな町だ。



 町中を藤戸海峡の名残を留める倉敷川が流れている。
川は天領である倉敷と、児島湾を経て瀬戸内海に出て、上方などとを結
ぶ物資交流の重要なルートで、倉敷紡績の原綿などを運ぶ運河として頻
りに利用されてきた。
この為藤戸は川湊として、又物資の集散地として大層な賑わいを見せて
いたと言う。



 加えてこの地は、岡山城下から早島を経て、児島田の口や下津井等へ
向かう「四国往来」の途中町としても栄えていた。
江戸時代には、児島の由加山に立ち寄り、その後舟で四国に渡り金比羅
さんに詣でる両参りが大流行し、行き交う旅人が多かったようだ。
その為、当初は徒渡りであった倉敷川にも、正保年間にはいち早く藤戸
大橋・小橋の二橋が架けられている。



 町は入り組んだ細い道が多く、往時の街道の面影を良く残している。
町並みの中にはさして古くは無さそうだが、倉のある家や、白壁や海鼠
壁の屋敷等切妻造平入りの重厚な家並みも有り、往時の繁栄を偲ばせる。
そんな道筋には、思わぬところに古い道標なども残されている。(続)



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