庄野宿は小さな宿場ではあるが、通りの彼方此方に多くの案内板が掲
げられ丁寧な説明がされているている。
宿の西側には、「川俣神社」があり、境内には宿の成立以前から自生
する樹齢300年という県指定の天然記念物のスダジイの巨木がある。
実はこの先の街道筋の中富田や西富田にも、これと同名の神社が立て
続けにあり、狭い地域に三カ所もあるのが何とも不思議だ。
街道を行くと、宿を出た辺りに、「従是東神戸領」と書かれた領界石
があり、その横に「女人堤防」と書かれた碑が立てられている。
この汲川原村の地は、鈴鹿川と北安楽川との合流地点にありながら、
完全な堤防も無く、昔から度重なる川の氾濫に苦しめられていた。
その為幾度となく藩に堤防建設の訴願が行われて来た。
折しもの倹約令と、南岸の城下町神戸に水害が及ぶのを恐れる藩は
許さなかったどころか、強いて行えば打ち首の極刑に処すとの触れま
で出す有様であった。
度重なる被害を蒙るのは部落民で、耐え難く納得できるわけも無く、
処刑を覚悟で堤防建設を行おうとした。
この時菊女を先頭とした女性達は、男性達が処刑されれば集落の存続
に関わると訴え、工事は女達200余名の死出の仕事にすると申し出た。
以後女達は暗夜を選んで密かに集まり、築堤工事を進めることになる。
苦心の末、六年の歳月を掛けてようやく堤防を完成させることが出来た。
しかしこのことは、何時しか藩主の知るところとなり、女達はその後
捉えられ、断頭の座に着かされてしまう。
その刹那、藩から赦罰の早馬が到着し、助命が告げられる。
それどころか、築堤の功に対してお上からは金一封と絹五匹が贈られた。
その堤防は、この碑の立つ前辺りに東西に延びていたという。(続)
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