簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
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 四ノ宮(東海道歩き旅・山城の国)

2024-08-23 | Weblog
 東海道は、京都市山科区四ノ宮の旧三条通りに入ってきた。
山城の国である。
 旧街道の北を京阪電鉄の京津線が通り、四宮駅が有りその西には京阪
山科駅が近接している。京阪線の北をJR琵琶湖線と湖西線も通っていて、
京阪山科駅の北にはJR山科駅がある。



 商店や飲食店、会社、事務所等が立ち並ぶ通りは繁華で、凡そ旧道の
雰囲気は無い。通りを一歩外れれば住宅が密集する地域で、鉄道の便が
良く、京都や大阪のベッドタウンとして発展が著しいらしい。



 東海道沿いに建つのが西光法師の創建とされる「山科地蔵徳林庵」で、
俗に六地蔵と言い都に入る門番とも言われた。
当所は魔除けの場所とされ街道を行く交う人々に厚く尊崇されたという。



 後白河天皇の勅命により、保元2(1157)年、京の都の主要街道六カ
所(伏見・大善寺、鳥羽・浄禅寺、桂・地蔵寺、常磐・源光寺、鞍馬・
上善寺)に地蔵尊が安置された内の一体がこれだ。



 四ノ宮はその昔は、四宮河原と呼ばれていた。地名は、山科のこの地
に隠棲した仁明天皇の第四皇子、人康(さねやす)親王が「四宮殿」と
呼ばれたのに由来する。

 人康親王は幼年の頃より眼を患い失明し、剃髪して山科のこの地に移
居した。深く仏道に帰依し法名を「法性」と名乗り、御所(住居)を隠
棲の場としたという。御所は、山階(やましな)の宮と呼ばれたが、後
に寺となてっいる。



 それが旧街道右手奥にある楊柳山十禅寺とされ、別名を「四宮河原観
音堂」、親王が聖徳太子作と伝える聖観音像を安置したといわれている。
 親王は琵琶法師の祖として知られていて、貞観14(872)年、42歳で
亡くなり、境内に墓があると言う。(続)



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