簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

御油の宿と味噌工場(東海道歩き旅・三河の国)

2021-12-17 | Weblog
 「はや夜に入りて両側より出てくる留め女、いづれも面をかぶりたる
如くぬり立てるが袖をひいてうるさければ・・・」



 夜の帳が降り始めると、旅籠の前では客を呼び込もうと、激しい客引
きが行われていた。どこも客を取ろうと必死の様子が窺い知れる。
十返舎一九の膝栗毛でも、そんな宿場の様子をこのように述べている。



 又広重が描く「東海道五十三次之内 御油 旅人留め女」の図でも、
強引に客の荷物を引っ張って客引きをする女(留女)の姿が軽妙に描
かれている。
この宿場は、こう言った留め女や飯炊き女と呼ばれる女性達が多くいた
ことも当時の道中案内などでは良く知られていた。



 御油宿の家数は316軒有り人口は1,300人ほどの宿場に、本陣が3軒
あったものの脇本陣はなく、旅籠は宿場の規模にしては割に多い62軒
有ったと言う。
当地の外れに姫街道の追分が有ること、城下町である吉田の宿での窮
屈な泊まりを避け、ここに宿を取る旅人も多かったかららしい。



 宿場の町並は、茶屋町、横町、仲町、中上町、上五井と続いていた。
そんな街道筋は進むと、町中で味噌メーカの大きな工場に突き当る。
街道はそこでほぼ直角に曲がり、更にその先で左に折れる。
曲尺手の様な曲がり方で、その先は丁度工場の正門前に出る。
街道が工場を分断している格好だ。



 町の中心に「イチビキ」の工場が居座る姿に、何となく違和を覚えず
にはいられないが、木造の工場や白壁の蔵などは、旧町にすっかり馴染
んでいるようにも見える。又、この工場にも歴史があり、それを知れば
ここに立地する理由に納得出来たりもする。(続)





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