江戸時代の庶民にとっては、誰もが一生に一度はお参りしたいのが、
「お伊勢さん」である。
当時は、毎日40㎞程を、自分の足で歩き続ける旅である。行程は1ケ月
程度で、長くなると3ケ月も掛けてと言うのが当たり前にあったらしい。
この間の旅費は馬鹿にはならず、おいそれとは賄えない庶民にとっては
夢のような話しでもあった。
そんな夢のような話しを現実にしたのが、「伊勢講」という組織だ。
隣組等でチーム(講)を組んで、貧しい中からお金を出し合い積立て、
毎年代表者をクジ等で決め、お参りして貰い、残りの人は代参をお願
いするという仕組みだ。
この「伊勢講」、既に室町時代には結成された記録があるらしい。
そんな伊勢参りは、参拝を世話する神職「伊勢御師」に委ねられる。
まず二見浦での禊ぎから始まり、その後伊勢に赴き外宮へ、続いて内宮
を参拝し、両宮の参拝を済ませる。そして最後に、朝熊岳に登り金剛證
寺へのお礼参りで一連の「お伊勢さん参り」が終わる。
この間の宿泊場所は御師の家で、豪華な食事も提供されていたらしい。
その後、この際だから、折角旅に出たのだから、と彼方此方観光もし
て帰りたいとの思いを持つ者も多かったらしい。
しかし江戸時代、物見遊山の旅は幕府により厳しく禁じられていた。
その為庶民は、各地の他の社寺への参拝を続けながら、観光地にも立寄
る事でカモフラージュするが、是は幕府も黙認していたようだ。
整備された当初の街道は、幕府にとっては、軍事的な道であった。
が内政が安定すれば、幕府の本音のところは人々の街道往来を増やしたい。
人が動けば、文化交流が進み、経済効果も見込めたからだ。
こうして庶民の「お伊勢参り」の後に、他の社寺にお参りする「両参り」
が流行りだした。その主な対象が、四国の「金比羅さん」である。(続)
(写真:お伊勢さんの門前町)
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