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簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
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食べたまま、書いてます。

奥州藤原文化の中心地

2016-12-12 | Weblog
 北上川が緩やかにその流れを変える辺り。
現在の東北本線に挟まれるように広がる河岸地に、広大な「柳之御所史跡公園」
があり、その一角に「柳之御所資料館」が建っている。



 その当時ここは、旧北上川の古流路で猫間が淵と呼ばれる低湿地と、北上川に
挟まれた要塞の地であったようだ。



 ここは奥州藤原氏が政治を行った中心地と考えられる所で、歴史書『吾妻鏡』に
残されている「平泉館」と呼ばれていた場所に当たると推定されている。



 過去の発掘調査では、中心部を囲うような巨大な堀や苑池、掘立柱住居、井戸
などの遺構が確認されていてその建物はかなり大がかりなものであったことを窺わ
せているという。
また遺跡からは、儀式に使用されたとみられる「かわらけ」が10トン以上も出土、
中には中国産の物も多数有り、当時の文化交流の状況を知る手掛りとなっている。



 こんな資料や、当時の御所の様子は「柳之御所資料館」で展示物やビデオで詳
しく解説されているので、立ち寄ってみるといい。

 「柳之御所」から掘りを隔てた外側に三代・秀衡によって建立された寺院の跡が
確認されている。
「無量光院」と言う寺院で、京都・宇治の平等院鳳凰堂を模して建てられたという。
また、「柳之御所」から300mほど西方に、秀衡の日常の居館である「伽羅之御所」
跡なども有る。





 当時の平泉は中尊寺や毛越寺を擁し、南の白河関(福島県)から北の津軽の地
までの中間に位置し、北方領域に展開する奥州藤原氏の中核的な所で、文化・政
治・経済の拠点であった。(続)



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