簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

かにが坂飴 (東海道歩き旅・近江の国)

2023-11-27 | Weblog

 海道橋を渡り表参道に出て、右に向かえば田村神社の境内で、東海道
は反対に左に取る。そこは表参道で、天を突くように立ち並ぶ杉木立が
林立し、足元には常夜灯が並んでいる。
 古社らしく、奉納された常夜灯も古い物が多いようで、中には文政12
(1829)年や安政3(1867)年と刻まれた灯籠もあった。



 それが途切れると神社の入口で、幟旗が翻り一の鳥居が立ち、その前
に国道1号線が流れ、横断歩道橋が架かっている。

 歩道橋に上り東方面を振り返ると、今越えてきた鈴鹿山脈は最早遠ざ
かり、幾重にも重なる山の遥か向こうに霞んでいる。
西はいつの間にか片側1車線に狭まった国道が土山の町中を抜けている。



 昔鈴鹿山麓に身の丈3mの巨大な蟹が出没し、旅行く人や近郷の村人
に危害を加えていた。ある時恵心がこの地に赴き、大蟹に印明を示し、
天台宗の「往生要集」を説き、説法を施すと不思議にも大蟹が悪行を悟
るが如く、我が身の甲羅を八つに割裂いてとけ失せたという。



 恵心は八つの甲羅を埋めて、蟹塚を建て懇ろに葬った、その蟹塚は現
在も残っている。この時不思議にも蟹の血が固まり八個の飴となった。
それを竹の皮に包んで村人に授け、「この八ツ割飴は、諸々の厄除けに
効あり」と伝えた。



 江戸時代になると「東海道名所記」(万治元(1658)年版)で「生野、
茶屋あり、飴を煎じて売る」と紹介されるようになる。
旅の疲れを癒す糖菓子、「厄除けの蟹ヶ坂飴」として世に知られるように
なり、旅人からも持て囃されるようになる。



 歩道橋からは、眼下の左手に土山名物を売る「かにが坂飴」の店舗が、
右手には「道の駅 あいの土山」が見えている。
橋を下りれば、いよいよ土山宿へと入っていく。(続)





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