名鉄の国府駅を右奥に見て進むと、小さな森の下に鎮座する神社の白
壁が見えてきた。
三河の国の国府で、嘗ては国府大明神と呼ばれた大社神社である。地名
もこの社に由来していて、嘗てはこの辺りが国府の立場跡になるらしい。
丁度この先から街道の道幅は急に狭くなる。
古い家並みと、神社の白壁に沿う道は何となく昔の雰囲気を感じさせる
風情がある。その先に有るのが、江戸より76里の御油の一里塚で、信用
金庫の敷地の中に立っている。
そこから更に西進すると三叉路の角に、二本の古い道標と供に、大き
な秋葉神社の常夜灯が立っている。
県道の拡幅工事で、近年従来の位置から移され整備されたものらしく、
何れの石碑も基礎だけは真新しく目立っている。
その下に、「姫街道」の小さな表示板が置かれている。
ここは「御油の追分」と呼ばれる分れ道のある地で、道標には「秋葉山
三尺坊大権現道」「国幣小社砥鹿神社道 是より二里卅町」などと書か
れている。
このまま街道を直進すれば、東海道の35番目の宿場・御油に向かう。
旧街道は、住宅地の中に伸びる生活道路である。
200mも行けば、音羽川に架かる五井橋を渡り宿場へと入っていく。
右に曲がれば本坂越え道、道程約60㎞のいわゆる姫街道となる。
鳳来寺から秋葉山を経由して、浜松から見附宿に向かう裏街道だ。
見附からは、浜名湖の北を大きく迂回して、本坂峠を越えてここに
至る事になる。
浜名湖を控えた新居の関所は、殊の外女改めが厳しかった。
又船酔いや、船中でのトラブルを避けたい思いもあった。
その為公家の奥方や姫君、女中衆が多く使用したのがその名の由来とも
言われている。(続)
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壁が見えてきた。
三河の国の国府で、嘗ては国府大明神と呼ばれた大社神社である。地名
もこの社に由来していて、嘗てはこの辺りが国府の立場跡になるらしい。
丁度この先から街道の道幅は急に狭くなる。
古い家並みと、神社の白壁に沿う道は何となく昔の雰囲気を感じさせる
風情がある。その先に有るのが、江戸より76里の御油の一里塚で、信用
金庫の敷地の中に立っている。
そこから更に西進すると三叉路の角に、二本の古い道標と供に、大き
な秋葉神社の常夜灯が立っている。
県道の拡幅工事で、近年従来の位置から移され整備されたものらしく、
何れの石碑も基礎だけは真新しく目立っている。
その下に、「姫街道」の小さな表示板が置かれている。
ここは「御油の追分」と呼ばれる分れ道のある地で、道標には「秋葉山
三尺坊大権現道」「国幣小社砥鹿神社道 是より二里卅町」などと書か
れている。
このまま街道を直進すれば、東海道の35番目の宿場・御油に向かう。
旧街道は、住宅地の中に伸びる生活道路である。
200mも行けば、音羽川に架かる五井橋を渡り宿場へと入っていく。
右に曲がれば本坂越え道、道程約60㎞のいわゆる姫街道となる。
鳳来寺から秋葉山を経由して、浜松から見附宿に向かう裏街道だ。
見附からは、浜名湖の北を大きく迂回して、本坂峠を越えてここに
至る事になる。
浜名湖を控えた新居の関所は、殊の外女改めが厳しかった。
又船酔いや、船中でのトラブルを避けたい思いもあった。
その為公家の奥方や姫君、女中衆が多く使用したのがその名の由来とも
言われている。(続)
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