簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
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食べたまま、書いてます。

補陀落渡海信仰(JR乗り潰しの旅・紀勢本線)

2017-04-12 | Weblog
 那智駅前から世界遺産・熊野古道巡りのスタートとなるのが、道の駅の前を走る
国道42号線の向こうに見えている。
こんもりとした森に佇む「熊野三所大神社」と「補陀落山寺」だ。熊野詣でが「蟻の
熊野詣」と言われるほど盛んであった頃は、丁度この辺りが中辺路・大辺路・伊勢
路の分岐地であったらしい。



 当時は「浜の宮王子社」と呼ばれていて、那智山を参拝する前にこの那智の浜
(補陀落浜)で心身を清める潮垢離を行った場所と伝えられている。
その頃は「渚の森」と呼ばれる鬱蒼とした森が有ったらしいが、今では樹齢800年
余と言われる一本の大樟が残るのみだ。



 そしてここ那智は、補陀落浄土とみなされた場所で、那智の浜に面し「浜の宮王
子社」に隣接して建つ「補陀落山寺」が東門として、「補陀落渡海」の拠点となった
のだそうだ。



「補陀落」とは、南方の彼方にあるとされる観音菩薩の住まう浄土のことで、「補陀
落渡海」はそこに向けて渡海船に乗り、南の海の果てを目指す、いわば生きながら
の水葬のことである。



 船に拵えられた屋形に渡海の信者が入ると、外から釘で打ち付け、出られないよ
うに閉じ込められる。僅か一か月分の食料と少量の燈油を乗せただけの舟は、この
浜から潮に流され大海を漂うのである。
この何とも切ない捨身行「補陀落渡海」は、その後静かに一人で往生を迎えるのだ。



 平安時代から、江戸時代に入って18世紀初頭辺りまで続けられたと言い、この
浜から船出し観音となった信者は、25人を数えたと境内に立つ石碑は古の信仰を
伝えている。(続)





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