そんなお四国の巡礼に踏み出すことになった。
格別の信仰心が有るわけでもなく、仏様にお縋りする特別な想いが有るわけでも無い。
どちらかと言えば物見遊山の観光に近い。
敢えて理由付けするならば“自らへの挑戦”、格好良く言えば“自分磨き”か。
どうせ行くのなら、人から「歩いて?すごいね!」と言われたい。
単純で有る。後先も考えず、ただそれだけの理由から歩いて巡ることになった。
疎遠に成ったとは言え、幸い若い頃から山歩き、ハイキングは好きだった。
だから歩くことは厭わない。
最近ではアルバイト先の職場から自宅まで、20キロ余りを半日かけて歩いて帰ったことも有る。
歩くことに抵抗は無い、それどころか多少の自信が有る。
風を感じながら、普段見過ごしてしまうような小さな、思いがけない出会いを楽しみながら歩くことは結構楽しいものだ。
恐らく体力的には大丈夫、問題は無いだろう。
しかし、問題は日程だ。歳の数だけの日数となると2ヶ月にも渡る。
アルバイトの身には、とてもこれだけの連続休暇は望む術も無い。
ここは、当然「区切り打ち」となる。
1年に1~2回、数年計画、無理をしないと言う前提で、信仰心も薄い友と2人の巡礼チャレンジが昨春から始まった。
【写真:歩き遍路(イメージ)】
格別の信仰心が有るわけでもなく、仏様にお縋りする特別な想いが有るわけでも無い。
どちらかと言えば物見遊山の観光に近い。
敢えて理由付けするならば“自らへの挑戦”、格好良く言えば“自分磨き”か。
どうせ行くのなら、人から「歩いて?すごいね!」と言われたい。
単純で有る。後先も考えず、ただそれだけの理由から歩いて巡ることになった。
疎遠に成ったとは言え、幸い若い頃から山歩き、ハイキングは好きだった。
だから歩くことは厭わない。
最近ではアルバイト先の職場から自宅まで、20キロ余りを半日かけて歩いて帰ったことも有る。
歩くことに抵抗は無い、それどころか多少の自信が有る。
風を感じながら、普段見過ごしてしまうような小さな、思いがけない出会いを楽しみながら歩くことは結構楽しいものだ。
恐らく体力的には大丈夫、問題は無いだろう。
しかし、問題は日程だ。歳の数だけの日数となると2ヶ月にも渡る。
アルバイトの身には、とてもこれだけの連続休暇は望む術も無い。
ここは、当然「区切り打ち」となる。
1年に1~2回、数年計画、無理をしないと言う前提で、信仰心も薄い友と2人の巡礼チャレンジが昨春から始まった。
【写真:歩き遍路(イメージ)】