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kusazoushi:before Tsutaju

2010-07-28 | bookshelf
*****蔦屋重三郎以前*****
          
依然250年くらい前の江戸時代天明寛政期にトリップしているのですが、11月サントリー美術館で開催される「蔦屋重三郎展」が近づくにつれ、ますます思いは蔦重方面へいっています(魂は現代にはいないです)。蔦重展がどんな展覧会になるのか、HPの紹介でもまだ詳細があがってないので、私は一人で勝手に盛り上がっていこうと思ってます。
 蔦重本人はもとより、彼の成した事・彼と係わった人物・当時の民俗政治などを知るには、彼が手懸けた出版物を読むのが一番よいと思い、図書館の蔵書にあるものから読み始めました。内容も面白いのですが、私が一番興味を持って見る箇所は、跋文や奥付。
奥付には書肆名が記されているので見れば誰が出版したものか明白だからです。

 上の画像は、蔦重より15歳年上の人気戯作者 朋誠堂喜三二(ほうせいどうきさんじ:1735-1813年 本名 平沢常富つねまさ、狂歌号 手柄岡持てがらのおかもち、秋田佐竹藩士)作、恋川春町(こいかわはるまち 1744-1789年 本名 倉橋格 小島藩士、喜三二の親友)画の『桃太郎後日噺(ももたろうごじつばなし)』のワンシーン。
右ページには桃を食べて若返った爺婆が座り、左ページに桃太郎と犬雉猿が鬼が島から鬼を連れて帰宅して挨拶しています。草双紙の登場人物には着物に名前や家紋がはいっているので誰だか判別できるようになっています。後日談は、『桃太郎』には登場しない下女と人間界に住むようになった男前の白鬼と白鬼の婚約者が創作され、猿が悪者となり、下女と鬼の三角関係の物語になっていて、桃太郎は関係なくなっています。これは謡曲・浄瑠璃や歌舞伎の話を絡ませたオチをつけて大人向けにしてあるのです。こういった子供の読み物であった草双紙が1700年代後半から大人向けの読み物(黄表紙)になっていったそうです。

 これは1777年(安永6年)鱗形屋孫兵衛から刊行されています。この年が朋誠堂喜三二の黄表紙作家デビューとなっています。
 鱗形屋は、『解体新書』を出版した須原屋一統が隆盛していた同時期(悪名高い田沼意次時代)の書肆で、吉原で「吉原細見(よしわらさいけん:吉原遊郭のガイドブック)」を刊行していました。蔦重が吉原の大門口でこの鱗形屋の吉原細見の販売を始めたのが20代前半で、その後細見の出版権を手に入れた蔦重は一工夫二工夫もして売上を伸ばします。それと反比例して鱗形屋は没落してゆき、蔦重は鱗形屋の売れっ子作家・絵師2人朋誠堂喜三二と恋川春町を細見版権ともども手中に収めることとなりました。

 この多才な戯作者たちがいたからこそ、蔦重の出世も有り得たといっても過言ではないでしょう。
 喜三二の挿絵を描いた春町も戯作者として名作を残しています。