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large keyhole-shaped tomb mounds 2

2015-03-04 | ancient history
『前方後円墳の世界』 広瀬和雄著 2010年岩波新書

 前方後円墳に関する書籍を読むにつれ、前方後円墳が単なる鍵穴型でないことも知りました。円と方形がくっついた部分「くびれ」のすぐ近くに、「造り出し」と呼ばれる出っ張りが付いている前方後円墳もあるのです。「造り出し」は、そこで儀式を行った場所だと考えられているそうです。
 古墳の空撮写真は、ほとんどが木々で覆われていて大雑把な形しか見えませんが、前記事に掲載した大仙陵古墳(日本で最も大きい前方後円墳)の写真をよく見ると、くびれの少し下が一か所飛び出ているのが解ります。古代の人は、必ずしも前方後円墳を左右対称型の鍵穴形にしたかったわけでもなさそうです。
 するとそこでまた疑問が湧きました。
 儀式を行うために造られ、それが発展して円墳と同じくらいの大きさになったと言われる方形部分の役割はどうなってしまったのでしょうか。造り出しで儀式が済むのであれば、方形墳丘は不要になるので縮小方向に向かってもよさそうなものですが、どうも前方後円墳の最終形は、鍵穴型だったようです。
 古墳を3Dで見てみると、側面は山のようになだらかではなく、数段に積み重ねられたテラス状になっていて、円墳丘部にはお棺が納められ、方形墳丘の上部は平らではなく円墳から離れるに従って高くしてあり、裾のように広がったあたりの上部に、祭壇のような四角い盛り土も造られていました。造り出しが出来ても、方形墳丘の役割は重要だったということでしょうか。
 国土の狭い島国に、こうも巨大なお墓がたくさん造られたのは何故でしょうか。そんな疑問に答えてくれたのが、広瀬和雄氏の『前方後円墳の世界』という本でした。広瀬先生の説は、簡単に言ってしまうと、前方後円墳に限らず巨大古墳は「見せる」ための古墳だった、というものです。誰に?時の支配者が臣下や民衆に対して。領地外の有力者への牽制、遠い異国(中国大陸や朝鮮半島の国々)に対するアピールだったり。
   明石海峡を見下ろす、神戸市の「五色塚古墳」
 確かに、瀬戸内海を船でやって来きた異国の使者が五色塚古墳のような巨大な建造物を見たら、さぞかし驚いたでしょう。私たちが、初めて富士山を海上から見るのと同じような気持ちになったのではないか、と想像してしまいました。普段私たちが目にしている古墳は、だいたいが木々に覆われて小山のように見えるため、住宅地に接していても違和感はありません。しかし、本来の古墳はとても人工的な姿で、見る者を圧倒します。古代人がそういう効果を狙っていた、というのもうなづけます。
 そういえば、随分前に天橋立へ行った時、舞鶴若狭自動車道を北上していたら、長閑な里山の頂上にUFOのような円盤が見えて、びっくりしたことを思い出しました。なんだー?と思っているうちにその下のトンネルに入ったので、尚更驚きました。同乗者が古墳だと教えてくれたのですが、その時のインパクトの強さは未だに忘れられません。記憶をたどって調べてみたら、私市円山古墳というのでした。

京都府綾部市にある自然丘陵を利用して造られた「私市円山(きさいちまるやま)古墳」
 海側でも内陸でも、巨大古墳はインパクトがあります。山間部に造られた古墳は、自然の地形を活かして造られたものもありました。
 秋田県の鹿角にある大湯環状列石からほど近い、クロマンタと呼ばれる黒又山がピラミッドのような段々がある、という事が調査でわかっているそうですが、ひょっとしたら巨大円墳なのでは?もしそうなら古代史が大きく変わります。妄想は膨らむばかりです。

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